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東区山根町の聖光寺に建立されている「大石内蔵助父子供養墓」です。
※現在は、墓苑内から移設整備され説明板が設置されています。 |
関連頁:大石内蔵助父子・供養墓(移設前) |
討ち入りの後、赤穂浪士の中で唯一生き残った寺坂吉右衛門が広島を訪れ、討ち入り成功を広島藩に報告したといわれています。
この際、持ち帰った大石内蔵助親子の遺髪を浅野家の菩提寺・国泰寺に葬って欲しいと申し出ましたが、彼等が罪人であるため、瑞川寺(いまの聖光寺)に葬られることになりました。
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寺坂吉右衛門(てらさかきちえもん:1665-1747) |
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赤穂浪士四十七士の一人。名は信行。吉田兼亮(かねすけ:忠左衛門:1641-1703)の歩卒(足軽)。討ち入りでは裏門隊に属していた。討ち入り後、浅野本家へ事件を通報。のち自首したが、不問に付された。 |
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1701(元禄14)年分家である赤穂藩主・浅野長矩(ながのり、1667-1701)が刃傷事件を起こすに至ったが、広島藩はこの事件への関与を極力避け累が及ばないようにした。
しかし、数年の後、大石内蔵助の三男・大三郎など赤穂藩の旧臣を召し抱え救済措置を講じていますす。 |
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2006年交流ウォークの時にこの大石親子の供養墓が建立されていることを教わりました、教えていただかなければなかなか見つけ出されなかったと思ったものでした。今(2009)年交流ウォークで訪ねたとき山門を入ってすぐの所に移設されていました。そして以前はなかった説明碑も設置されていました。大石親子・供養墓も観光資源の一つと考えてのことかなと思いましたが。 |
2022年になって広島護国神社の筆頭祭神が高間省三命であることを知り、ここ聖光寺に高間壮士之碑が建立されていることを知り、撮影に出かけたのです。
山門を潜ってまずこの大石親子の供養塔に立寄ったので、久しぶりに撮影しましたので、この頁を更新しました。 |
22.02,26.更新 09.05.13裕・記編集 |