道卿原君之碑

  東区山根町の聖光寺境内に建立されている「原道卿君之碑」です。
天保甲辰夏四月十二日原君道卿・・・ではじまるこの石碑、
“広島県武術家伝”を参照すると要約は、
『芸藩の士。名は隆、通称は平次、道郷はその号なり、少にして山瀬源太に従い、信抜流の剣法を学び、技大に進み、出藍の誉あり、資性絶倫その師門に往来すること二十余年、祁寒暑雨と雖も、一日も欠けたる事なく人皆その精勤に感ぜりといふ、その師の歿するや、道卿その技を徒に授け、その名益々願はる。
常に門人に論して曰く、剣に剣なし、体を以って剣となす、體(体)に体なし、神を以って体となすと、天保甲辰四月十二日年六十三にして歿す、門人相謀りて碑を広島市尾長町瑞川寺に建つ、その墓は広島市細工町西向寺に在り。』

☆天保甲辰とは、1844年、天保15年で、12月2日から弘化元年となりました。
☆瑞川寺とは、ここ聖光寺。
☆細工町は、戦後町名変更で大手町一丁目になっています。
原 道卿(はら どうきょう:1782-1844)
江戸時代後期の剣術家。名は隆。通称は平次。
安芸国広島藩士。山瀬源太に信抜(しんぬき)流をまなぶ。二十余年にして技量は師よりすぐれ,師の没後は門弟をおしえた。
☆Wikipediaを参照すると、
『真貫流(しんぬきりゅう)とは、奥山忠信が開いた剣術流派。心抜流とも表記される。・・・
現存しているのは、広島藩の三原に伝わった系統である信抜流のみであるが、居合が大きな割合を占めているなど本来の真貫流とは異なった内容になっている。』と信抜流に関する記述がありました。
2022年になってここ聖光寺に建立されているという広島護国神社の筆頭祭神・高間省三命に関連する“高間壮士之碑”がある事が分かったので訪ねたのです。
2009年この碑の隣の梅園介庵之碑を撮影して頁を編集したのです。その時、この原道卿君之碑も撮影していたのに、調べようともしなかったのです。
今回、碑題をよく見ると、「道卿 原君 之碑」と読めるようでした。“広島県武術家伝”に原道卿の項(上記)がありましたのでこの頁を編集しました。恥ずかしながら2009年撮影の画像も掲載しました。
22.02.28.裕・編集

22.01.20.撮影
広島市東区山根町29-1(聖光寺)

22.01.20.撮影
“梅園介庵翁之碑”  「原道卿君之碑」

22.01.20.撮影







22.01.20.撮影
 (碑表面)

22.01.20.撮影
裏面:門人建

09.01.17撮影
 (2009年にも撮影していましたが)



「広島ゆかりの人たちの石碑など」編


「牛田・二葉の里附近」編



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聖光寺
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  (境内建立)梅園介庵翁之碑
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