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※呉市広大新開の広公園内に設置されている呉市総合体育館裏手の「殉職者之碑」と
広公園内に建立されている「郵便創業百年記念」石柱を取り上げています。 |
今(2017年)回広公園を訪ねたのは、公園内に建立されていると資料で知った「頼山陽文学碑」を撮影することでした。 |
広い公園でも端からぐるっと公園を回っているうちにであった碑です。
「殉職者之碑」の建立趣旨がわからなかったこと、「郵便創業百年記念」石柱がなぜこの公園に建立されたのかがわかりませんので、この頁で一緒に取り上げています。 |
17.07.05.裕・記編集 |
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殉職者之碑 |
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呉市広大新開の広公園内に設置されている呉市総合体育館裏手の「殉職者之碑」です。
※正面碑銘横に建立年(昭和?)、揮毫者が刻まれていたようですが削られたようで読めなかったのです。
※裏面に碑文板があったのでしょうが剥ぎ取られた跡があります。 |
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1889(明治22)年4月1日町村制施行で賀茂郡広村が村制施行、広村が発足。
大正10(1921)年呉海軍工廠広支廠が開設されました。
大正12(1923)年広海軍工廠となりました。
1941(昭和16)年4月21日賀茂郡広村は(仁方町とともに)呉市に編入消滅しました。
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広公園でみた戦前建立の藤田・岩西・大洲三君頌徳之碑と同じような形式の石碑ですので、戦前に建立された碑だと思ったのです。碑文板が剥ぎ取られていますので、何に関する殉職か考えた時、広海軍工廠に関係する殉職之碑だろうと想像はしましたが詳しいことはいまのわたしにはわかりません。
広郷土史研究会があるようですからこの碑のことは取り上げられておられるでしょうね。 |
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17.06.17.撮影 |
広島県呉市広大新開1-7-7 (広公園)呉市総合体育館裏手 |
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17.06.17.撮影 |
殉職者之碑 |
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17.06.17.撮影 |
17.06.17.撮影 |
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17.06.17.撮影 |
説明板が剥ぎ取られています |
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17.06.17.撮影 |
「殉職者之碑」 (向側)呉市総合体育館 |
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郵便創業百年記念・石柱
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呉市広大新開の広公園に建立されている「郵便創業百年記念」石柱です。
※1971(昭和46)年4月吉日に、広簡保連合会によって建立されています。 |
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1871(明治4)年4月20日(旧暦3月1日)東京〜京都〜大阪間に郵便制度が確立。
東京・京都・大阪に郵便役所が創設されました。
1873(明治6)年全国約1100箇所の名主が郵便取扱所を受諾し、郵便制度は全国に拡大。
簡保(簡易保険)は、1916(大正5)年10月1日(当時)逓信省によって創設されました。 |
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頼山陽文学碑を探しながらグラウンド周辺をぐるっとしている時に見た石柱でした。
近づき見ると「郵便創業百年記念」と刻まれていました。郵便局が建立したのかなと思いましたが、裏面に(呉市)広簡保連合会とありました。郵便局で取り扱っている簡保ですが、郵便局連合会でない意味はわたしにはわかりませんが。 |
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17.06.17.撮影 |
広島県呉市広大新開1-7 広公園 |
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17.06.17.撮影 |
17.06.17.撮影 |
17.06.17.撮影 |
広簡保連合会 |
郵便創業百年記念 |
施工 昭和四十六年四月吉日 |
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