雑魚場荒神堂

  中区国泰寺町に創建されている「雑魚場荒神堂」です。
戦前この辺りは“雑魚場(ざこば)町”であったことから雑魚場荒神(こうじん)堂とよばれています。
伝承:延喜年間(901-923)伊予国越智郡司越智次郎通兼が弘法大師(真言宗の開祖:774-835)法孫々弟子龍明大阿闍梨から弘法大師の御影像とともに文殊・大日・不動の三仏を授かり同(越智)家の守護本尊としていました。のち、子孫・村上彦左衛門常房の時、福島正則(1561-1624:広島藩主在任1600-1619)の招きに応じ慶長10(1605)年8月国泰寺沖の葦の中に建立、安置しました。
戦後1952(昭和27)年に現在地に安置されました。
資料は、広島市教育委員会発行「民間信仰調査報告」を参考にしました。
戦時中本尊は、牛田の聖天さんへ疎開されたので原爆の惨禍を免れ、1952(昭和27)年5月4日現在地に御堂が建立されたそうです。
荒神(こうじん)
民俗信仰の神の一つ。竈神(かまどがみ)として祀られる三宝(さんぽう)荒神、屋外に屋敷神・同族神・部落神として祀る地荒神、牛馬の守護神としての荒神に大別される。
2003(平成15)年になって資料でその碑のことを知り撮影しましたが、雑魚場町疎開地跡として撮影したのは2006年の交流ウォークのときになってしまいましたが、荒神堂の由来はわからなかったのです。
2008年になって資料を見ていると記述がありましたので参考にして、分離して再編集しました。
2015年被爆70年久しぶりに荒神堂に建立されている2基の原爆慰霊碑に頭を垂れた後、この荒神堂を中心にも撮影しましたのでこの頁を更新しました。
16.02.26.更新    08.08.31再編集  06.10.15裕・記編集

06.05.11.撮影
広島市中区国泰寺町1-9-30

06.05.11.撮影
雑魚場荒神堂 昭和27(1952)年5月 雑魚場町

15.02.26.撮影

15.02.26.撮影

15.02.26.撮影

15.02.26.撮影



広島の神社仏閣」編



広島ぶらり散歩へ
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旧雑魚場町地区周辺・原爆被災説明板
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