広島市平和記念公園レストハウス (旧:燃料会館)

  広島市平和記念公園レストハウスは、(現在)無料休憩所と観光案内所として利用されていますが、この建物は、大阪に本店を持つ大正呉服店が対岸の細工町から新築移転したものです。
当時(1929年当時)珍しかった鉄筋コンクリート造、モダンな建物で1階から3階はショーウィンドウのある売場で土足が可能で、屋上からは(広島)市内が一望できたそうです。
1944(昭和19)年6月、県燃料配給統制組合に買収されました。
1945(昭和20)年8月6日午前8時15分米軍投下の原子爆弾により、コンクリートの屋根は大破、内部も破壊炎上しましたが、地下室にいて奇跡的に生き残った1人をのぞいて全員が犠牲となりました。
戦後直ちに改修し、燃料会館として利用され、
1957(昭和32)年には広島市東部復興事務所がおかれ、都市の復興の拠点として貢献しました。
1982(昭和57)年からはレストハウス(無料休憩所と観光案内所)として利用されています。
2001年広島ぶらり散歩「平和記念公園」編の一頁として編集しようと撮影しました。
2006年撮影していた画像で頁を更新しました。
編集してから10年余り過ぎましたので、今(2014)年頁を見直し再編集しました。
   14.07.25再編集     06.06.03更新   01.11.25裕・編集

01.11.21.撮影
広島市中区中島町1  レストハウス

03.01.06撮影
雪が積もった元安橋(東側)からレストハウスをみました

14.07.17.撮影
原爆炸裂が≒170mと至近距離だった爆心地側(元安川越に)東面をみました

04.05.12.撮影
東面側に燃料会館・原爆被災説明板が設置されています

02.03.30撮影
平和の池側(西南側)からみました

04.06.06.撮影
西面(爆心地の反対側)

04.06.06.撮影



平和記念公園」編


被爆した建物・構築物」編



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広島市平和記念公園レストハウス
  旧燃料会館地下室
燃料会館・原爆被災説明板
野村英三さん「爆心に生き残る」の原稿


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