|
広島市中区袋町の頼山陽史跡資料館の前庭に建てられている「頼山陽居室」です。
※現在の居室は、1958(昭和33)年に復元されたものです。
※木造平屋建て、延べ面積≒40u。土間+2間(8畳+6.5畳)。 |
史跡 頼山陽居室 指定年月日 昭和11(1936)年9月3日
|
頼山陽(1780-1832)は、朱子学者春水の長男として安永9(1780)年大坂(大阪)に生まれましたが、青春期を、この地にあった屋敷で過ごしました。21歳の時、脱藩し直ちに京都から連れ戻された後は、この居室に5年間閉じ込められ、当時ベストセラーになりました。「日本外史」の草稿はこの居室で書かれたといわれております。
〔昭和11(1936)年国の史跡指定を受けましたが〕
建物は昭和20(1945)年8月6日、原子爆弾の災禍を受け倒壊焼失しましたが、昭和33(1958)年旧姿に復元・再建したものであります。 平成4(1992)年3月31日 |
|
|
|
正門・塀は、爆心地より≒420m (被爆当時の町名も袋町) |
*資料は設置の説明板などを参考にしました。 |
|
この場所は、(爆心地側)西隣の日本銀行のビル陰になっていたことで門と塀は倒壊をまぬがれたそうです。
頼山陽居室は、原爆で焼失した後、改修復元されたものです。
2004年交流ウォークのときは撮影不足でしたので、2005年12月被爆樹木・クロガネモチと共に撮影しましたが、小雪舞っていた日でしたので雪が写ってしまいました。 |
(隣に位置する)旧・日銀広島支店を見学してもそこからこの(復元された)頼山陽居室を意識してみた事はありませんでしたが、2010年になって日銀のビル陰になった正門はと思ってみたので撮影しました。
また、被爆して大きくひびわれている「頼山陽先生日本外史著述庵跡」石碑の裏面も見ていなかったとみると昭和2(1927)年建立された事がわかりましたので、いまになりました画像を追加し頁を更新しました。 |
11.02.16更新 04.08.16裕・編集 |