澤原為綱翁之碑

  呉市宮原の“歴史の見える丘”に建立されている「澤原為綱翁之碑」です。
この記念碑は 昭和8(1933)年澤原為綱翁遺徳顕彰会により 二河公園の一角に建てられていた銅像の台座の一部を移転したもので 銅像は第二次世界大戦中供出されました
このたび 広島呉道路建設によるスポーツ会館移転にともない 永く翁の業績を伝えるため この地「歴史のみえる丘」へ建立したものです。

                       昭和58(1983)年8月12日   呉市長 佐々木 有
沢原為綱 (さわはら ためつな:1839-1923)
明治-大正時代の公共事業家。安芸(広島県)呉出身
(若くして家督を継ぎ)里正(りせい:庄屋、村長)、安藝郡長。同郡所得税調査委員など。1890(明治23)年貴族院議員。本願寺勘定護持法務。呉海軍鎮守府開設、上水道敷設などに尽力。1923(大正12)年4月8日死去、従六位に叙せられる。
正岡句碑をみようと立寄った歴史の見える丘でみたいしぶみでした。
碑銘をみると「澤原為綱翁之像」となっていましたが像がないなと思ったのです。側面に設置の説明板が取り付けてあり戦時中金属供出したことで像がなく、此処へ移転したのは碑の一部分と云うことがわかりましたが、説明文にある『翁の業績を伝える』といってもその業績が記述してありませんでした。
裏に回ると昭和8(1933)年第6代呉市長天野健太郎の碑文があり、その業績の一端(上記)がわかりました。
11.11.19裕・記編集

11.08.16.撮影
広島県呉市宮原5 歴史の見える丘  

11.08.16.撮影

11.08.16.撮影
澤原為綱翁之像 第6代呉市長天野健太郎識

11.08.16.撮影

11.08.16.撮影



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