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呉市宮原の“歴史の見える丘”に建立されている「造船船渠記念碑」です。 |
造船船渠記念碑由来 平成5(1993)年3月 寄贈:石川島播磨重工業株式会社 |
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この記念碑は 呉海軍工廠内に、明治41(1908)年11月起工、明治44(1911)年3月竣工以来昭和46(1971)年11月その幕を閉じるまでの間、数々の船舶を生み出してきた造船船渠を記念して、船渠側壁の石をそのまま用い、渠底に降りるための階段部分を再現したものです。
完成時の船渠の大きさは、長さ270m、幅35m、深さ11mで、当時東洋一の規模を誇りました。建設に用いられた石材は、国会議事堂の壁材にも用いられている倉橋島産のものが使用され、止水用の粘土は豊田郡安芸津町から、また、石の下に敷き詰められた砂利と砂は夫々山口県・今津川と県下・太田川からといった具合に、材料も厳選されたものが用いられました。
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この船渠で、戦前は戦艦「大和」「長門」を始め幾多の艦船が、また戦後は、世界初の10万屯級タンカー「ユニバースアポロ」ほか時代を代表する商船が次々と建造されてきました。
船渠閉鎖後も造船工場の一部として原形をとどめたまま今日まで利用されてきましたが、この度装いも新たに新鋭工場として生まれ変わることとなったため、この由緒ある船渠の一部を記念碑として造船所を臨むこの地に設置したものです。 |
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「造船船渠」(ここで取り上げた、戦艦・大和の建造用ドック)は、1993(平成5)年に埋め立てられ、跡地は工場地となっています。
しかし、戦艦・大和の修理を行った「船渠」は現存しており、自衛艦や米軍艦船などが現在も使用中です。 |
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※船渠(せんきょ)とは、船舶を建造または修繕するために入れる構築物。ドック(dock)。 |
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「歴史の見える丘」の北側に建立されているこの碑を2011年撮影したのですが構図的にもまずく頁を編集していなかったのです。今(2013)年改めて訪ね、撮影しましたので、この頁を編集しました。 |
13.08.31.裕・記編集 |