(たかからすほうだい)
(高烏砲台)
火薬庫
  呉市幸町の入船山公園に移築展示されている「(高烏砲台)火薬庫」です。
登録名称:呉市入船山記念館旧高烏砲台火薬庫      2011(平成23)年10月28日登録
         火薬庫 
この石造りの建物は、呉軍港一帯の防衛のため、1899(明治32)年から3箇年をかけて建てられたものの一つで、火薬を保管するものです。
1967(昭和42)年に警固屋高烏砲台跡から移築したものです。
日清戦争(にっしんせんそう)
1894(明治27)年朝鮮の支配権をめぐって日本と清国との間で起こった戦争。
朝鮮で起こった甲午(こうご)農民戦争鎮圧のため清国が出兵したとき、対抗して日本も出兵、豊島(ほうとう)沖で開戦。日本は平壌の戦いや黄海の海戦などで勝利を収め、翌(明治28)年下関で講和条約を結んだ。
日露戦争(にちろせんそう)
1904(明治37)年から翌(明治38)年にかけて、満州(中国東北部)・朝鮮の支配権をめぐって日本とロシアとの間で行われた戦争。
日本は旅順攻撃・奉天の会戦・日本海海戦などで勝利を収めたが、戦争遂行能力が限界に達し、ロシアも革命勃発などによって戦争終結を望み、米国大統領T・ルーズベルト(第26代大統領:1858-1919)の斡旋によりポーツマスで講和条約を締結。
文化庁
登録有形文化財
登録番号: 34-0124
名称: 呉市入船山記念館旧高烏砲台火薬庫
種別:建築物。  年代:1902(明治35)年(移築:1967年)
構造:石造平屋建、瓦葺、建築面積41u。
登録基準:造形の規範となっているもの
入船山公園内の(有料部分)入船山記念館入口の発券所で入観料@250円/大人を払って最初にみたのがこの建物でした。
「1号館」と館名板が架けてありましたが、説明板を読むと、高烏砲台跡にあった火薬庫を利用して呉出身の画家が描いた呉の歴史の一場面の絵画などが展示されているとありました。
この火薬庫は、2003年訪ね頁を編集していた「音戸の瀬戸公園」でみた旧砲台跡とつながる建物だったのです。
 関連頁:(裕編集の)高烏台・砲台跡
13.10.03.裕・記編集

13.08.27.撮影
広島県呉市幸町1-1  入船山公園(入船山記念館1号館)

13.08.27.撮影
現在内部は、呉出身画家の絵画などが展示されています

13.08.27.撮影

13.08.27.撮影
小屋組みをみました



軍都・廣島関連施設戦跡など」編



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