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中区中島町の平和記念公園に建立されている原爆死没者慰霊碑の碑文石に赤色スプレーで汚された事件が起きましたので、その経緯を含めこの頁を編集しました。 |
2012年9月21日夕方のラジオのニュースで事件を知りました。新聞報道などを要約すると、
『2012年9月21日(金)午後2時50分ごろ、平和記念公園で「原爆死没者慰霊碑に赤色のスプレーをした人がいる」と通行人の女性から110番があった。駆け付けた広島県警の警察官が、近くでスプレー缶を持っていた男に事情を聴いたところ、慰霊碑を汚したことを認めたため、器物損壊の疑いで現行犯逮捕した。
広島中央署の調べでは、男は西区南観音2丁目、アルバイト店員・増田英治容疑者(35)。
原爆死没者慰霊碑の「安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから」と刻まれた面(縦80cm、横125cm)に、最大で縦67cm、横108cmにわたって、スプレーで赤の塗料を「∞」のような形に吹き付けた疑い。
同署によると、女性から110番があった直後、増田容疑者は携帯電話で「碑文に落書きをした」と同署に連絡してきた。酒を飲んだ状態だったという。調べに対し「(米軍の垂直離着陸輸送機の)オスプレイや沖縄問題で腹が立ち、慰霊碑にスプレーを吹き付けた」と供述しているという。
原爆死没者慰霊碑を管理する広島市は同(21日)夜、シンナーなどを使って塗料を除去した。
原爆死没者慰霊碑をめぐっては今(2012)年1月4日午前0時ごろにも、何者かに金色の塗料を吹き付けられる事件が起きている。』 ということでした。 |
*1) |
2012年12月新聞報道で有罪判決が下ったことを知りました。
『原爆死没者慰霊碑に今(2012)年9月、スプレー塗料を吹き付けたとして、器物損壊の罪に問われた広島市西区のアルバイト店員増田英治被告(35)の判決で、広島地裁は12月13日、懲役1年6月、執行猶予3年(求刑懲役1年6月)を言い渡した。
上岡哲生裁判官は判決理由で「政治的考えを世間に示すための犯行だが、そのためには別の手段を選ぶべきだった。短絡的で身勝手な犯行だ」と指摘。被告が反省しており、原状回復の費用を支払ったことなどから執行猶予が相当と判断した。』という内容でした。 |
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*2) |
2014年7月25日中國新聞25面“広島都市圏”の小さな署名記事(和多正憲記者)に目がとまりました。
『「原爆(死没者)慰霊碑に塗料をかけた男性」愚行悔い平和式典参加へ』という見出しでした。
『この男性は、いまアパートで独り暮らし曾祖父母は被爆死し、祖父母も被爆した。広島に生れ育ち幼少期から原爆の恐ろしさを聞かされてきたにもかかわらず、右翼系団体の「碑文の主語があいまいだ」などとの考えに感化され犯行に及んだ。就職がうまくいかない、話し合える友人がいない寂しさも「愚行」の背景にあったと認める。今春、介護職の資格を取り「これからは政治活動ではなく、市民活動で社会に関わりたい」との思いから8月6日の(通称)平和記念式典に参列し、原爆死没者慰霊碑や原爆供養塔の前で手を合わせるつもり』というような記事でした。 |
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今(2012)年1月4日にも金色のペンキで汚されたばかりでした。 |
今(9月21日)回は日中でしたので、犯人も逮捕されました。
この事件には社会に不満を持ち、この原爆死没者慰霊碑を汚すという筋違いの動機だったこと、酔っぱらっていたとも聞きます。いずれにしても許される行為でないことは間違いないところで、反省をしていただかなければなりません。
しかし、35歳にもなってこのような分別(≒物事の善悪などをよく考えること)もない者が出てくること、また、アルバイトでしか働くところしかない?いまの世の中の一断面を見たようにも(わたしは)思いました。 |
その日(9月21日)のうちに汚れが落とされたと聞きましたので、
(わたしは)9月24日、広島赤十字病院での定期検査が終わってから平和記念公園に立寄り(事件後に汚れが落とされたと聞いていましたが)撮影しようと思い、その日に撮影しました。 |
2012年12月新聞報道で判決が下されたことを知りましたので、追記しました。 |
2014年になって(新聞は事件報道に関してはそれなり紙面を割いて伝えてくれるのですが、その後の事に関してわたしたちに伝える事は手薄になっていると思っていました。そのような中で今回の)中國新聞は、いい記事を掲載してくれたと思いました。
(この男性がわたしの息子たちと同年配だった事もあったからかもしれませんが)この男性が「愚行を悔い・・・」という記事を読んだ時、この男性のこれからの長い人生に幸多かれと願わずにはおられませんでしたので取り上げました。 |
14.07.26.更新 12.09.28裕・撮影編集 |