廣島郵便局職員殉職の碑

  中区大手町の元安橋東詰に建立されている「廣島郵便局職員殉職の碑」です。
ここ中区元安橋東詰南側に建立されているこの「広島郵便局職員殉職の碑」の向側に元の広島郵便局舎がありましたので、原爆受難の地を永久に残したいという願いを込めてこの地にこの碑が建立されたそうです。
この碑と同様の広島郵便局職員の犠牲者を供養する碑として、「広島郵便局殉職者之碑」が、先に、南区の多聞院に建立されています。
碑文:「廣島郵便局職員二八八名
     原爆により殉職

建立日: 昭和五十(1975)年八月 
建立者:(廣島郵便局)有縁の有志建之
碑材:四国産・青石製
ここ広島郵便局での殉職者は、(多数の男性が軍隊に行っていた為)多くの女性や学徒動員の女学生、国民学校高等科の生徒だったそうです。
碑に刻まれている職員288名殉職の他に女学生1名、育児室にいた幼児8名も犠牲になったそうです。
廣島郵便局(本局)は、1871(明治4)年開設しました。
1893(明治26)年に煉瓦造3階地下1階の建物でモダンな時計塔がある建物になったそうです
廣島郵便局(当時の住所)は広島市細工町28番地でした。
(現在の広島市中区大手町1丁目)位置は碑裏面にありました。
広島郵便局本局の写真は2005年6月7日、白島の広島逓信病院被爆資料館を見学した時、展示写真を広報の方に許可いただき撮影したものです。--→
(旧)廣島郵便局に近いこの地にこの「廣島郵便局職員殉職の碑」は1975(昭和50)年に建立されましたが、それ以前の1953(昭和28)年に南区の多聞院に「廣島郵便局殉職者之碑」が建立されています。
※「廣島郵便局殉職者之碑」は、頁下段のリンク欄からみていただければ幸いです
2001年撮影してこの頁を編集しました。
言葉だけで知った廣島郵便局の建物でしたが、2005年広島逓信病院被爆資料館を見学した時展示パネルでみましたので、画像を追加しました。
2014年、2015年とレストランの営業ですっかり変ったこの碑の周りを久しぶりに撮影しましたので、この頁を再編集しました。
 15.03.14.再編集   01.11.30.裕・編集

01.10.04 撮影
広島市中区大手町1-9 元安橋東詰

02.08.06撮影
通称・平和記念式典で疲れたのでしょう?碑の前で休んでいる人がいました

03.01.06撮影
前日の雪が残っていました

05.02.25撮影
碑の裏には被爆当時の廣島郵便局の位置図が刻んであります

07.08.06.撮影

14.08.21.撮影
レストランオープンカフェの処から碑(正面)をみました

15.02.08.撮影

15.02.08.撮影
碑(裏側)を≒東南からみました。 画像右側が元安橋東詰です



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