(池上本門寺)力道山之墓

  東京都大田区池上の池上本門寺に建立されている「力道山之墓」です。
力道山先生名は百田光浩 九州大村の産 幼にして角界を志し関脇に栄進せるも 1951(昭和26)年プロレス界に転身 爾来研鑽鍛練 又多くの門弟を養成 後進の道を拓き斯界の始祖となり隆盛を斎す 1962(昭和37)年WWA選手権を獲得名声世界に洽きも 昨年末不慮の災に遭い急逝 時三十九才 一周忌に際し門弟一同碑を献納 謝恩の意を捧げつつ不滅の偉業を讃う
  1964(昭和39)年12月15日 建立
力道山(りきどうざん:1924-1963)、本名:百田光浩(ももたみつひろ)
プロレスラー。朝鮮の生まれ(のち長崎県大村市の農家・百田家の養子)。
相撲界入り1940(昭和15)年5月場所初土俵。1949(昭和24)年5月場所関脇、同(1940)年9月場所前に廃業、プロレスに転向。空手チョップを武器に人気を集めた。1958(昭和33)年ルー・テーズ(1916-2002)を破ってインターナショナル・ヘビー級王座を獲得。
1963(昭和38)年12月8日遊興中の赤坂のナイトクラブ「ニューラテンクォーター」で、暴力団大日本興業構成員・村田勝志と口論になり、登山ナイフで腹部を刺され、12月15日化膿性腹膜炎で死去。
事前にWikipediaの池上本門寺の項などをみて、せっかく訪れるのだからと見どころも下調べをしました。
その中に幸田露伴(1867-1947)、力道山などのお墓がある事を知りました。
子どもの頃、TVでみていたプロレスのヒーロー・力道山のお墓があるのかと思ったのです。
‘岩石落とし’のルー・テーズとの死闘、、‘四の字固め’のザ・デストロイヤー(1930-2019)との死闘、プロレスはショー(Show)なのだよと大人たちに云われても夢中になって‘空手チョップ’の力道山を応援していた昔々を懐かしく思い出したのです。
NET情報の中に、五重塔の処にお墓への案内標識が付いてあるということでしたので行けば分かるだろうと思っていましたが、(案内標識の矢印方向が)理解できず、あきらめるかなと思っていた処、(雨模様のこの日でしたが)ジョギングしておられた方に声をかけ、左手に入れば案内標識がまたあり場所はわかりますよと教えていただき、やっとたどり着く事が出来たのです。
13.12.22.裕・記編集

13.09.15.撮影
東京都大田区池上1-1-1

13.09.15.撮影

13.09.15.撮影

力道山之碑

  南無妙法蓮華経     (戒名)大光院力道日源居士

13.09.15.撮影

13.09.15.撮影

13.09.15.撮影

13.09.15.撮影

13.09.15.撮影
台座に(作者の)サインがありましたが、わたしには読めませんでした
力道山のお墓のだいたいの位置を地図に入れてみました


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