原爆死没者慰霊碑碑文・主語をめぐる論議など

  わたしは、広島平和都市記念碑(原爆死没者慰霊碑)の碑文「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」には主語がないという論議があったことは知っていましたが、その歴史は知らなかったので、紐解いてみようと思ったのがこの頁です。
05.10.13追記    ’01.09.10裕・編集
1952(昭和27)年8月6日 「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」が刻み込まれた広島平和都市記念碑(原爆死没者慰霊碑)が除幕されました。
1952(昭和27)年11月3日 本川小学校で開催された世界連邦アジア会議に出席した印度代表ラダ・ビノート・パル博士が、慰霊碑に参拝して碑文に疑問表明。
「『過ちは繰返しませぬから』とあるのはむろん日本人を指しているのは明らかだ。それがどんな過ちであるのか私は疑う。ここにまつってあるのは原爆犠牲者の霊であり、原爆を落としたのは日本人でないことは明瞭。落としたものの手はまだ清められていない。この過ちとは、もしも前の戦争を指しているのなら、それも日本の責任ではない。その戦争の種は西洋諸国が東洋侵略のために起こしたものであることも明瞭である。・・・」
1952(昭和27)年11月10日 雑賀忠義広島大学教授がパル判事に抗議文。
「広島市民であると共に世界市民であるわれわれが、過ちを繰返さないと誓う。これは全人類の過去、現在、未来に通ずる広島市民の感情であり良心の叫びである。『原爆投下は広島市民の過ちではない』とは世界市民に通じない言葉だ。そんなせせこましい立場に立つ時は過ちを繰返さぬことは不可能になり、霊前でものをいう資格はない。」と表明。雑賀教授の英訳は「Let all the souls here in peace ; For we shall not repeat the evil」という事でわれわれですと。
1970(昭和45)年2月11日 「原爆慰霊碑を正す会」発足。岩田幸雄会長。
碑文は屈辱的で20数万人の犠牲者の霊を冒涜しているとして抹消を求める。10万人署名運動展開へ
1970(昭和45)年8月3日 山田節男広島市長が記者会見「碑文は変えない」と表明。
「碑文の主語は世界人類であり、人類全体への警告、戒めである」と
1983(昭和58)年11月3日 広島市が慰霊碑のそばに日英両文の説明板設置。
市民の要望で正式名の「広島平和都市記念碑」に「原爆死没者慰霊碑」を付記した。
「碑文はすべての人びとが原爆犠牲者の冥福を祈り戦争という過ちを再び繰り返さないことを誓う言葉である。
過去の悲しみに耐え憎しみを乗り越えて全人類の共存と繁栄を願い真の世界平和の実現を祈念するヒロシマの心がここに刻まれている」
 
‘すべての’とは「世界のすべての」ということで説明板にはそこまでは書き込まれていませんが、碑文論争に一つの区切りとなりました。
2002(平成14)年8月1日開館 国立広島原爆死没者追悼平和祈念館では建設理念の説明文をめぐって同じような議論がありました。
誤った国策により犠牲となった多くの人々に思いを致しながら、一日も早く核兵器のない平和な世界を築くことを誓います』という部分を・・・国策に誤りはあっただろう。だが「犠牲」は直接には米国が落とした原爆の結果ではないかという論議です。
1995(平成7)年8月15日
村山富市首相が戦後50年に当たって発表した談話。
先の大戦に関して「国策を誤り、植民地支配と侵略によって、多くの国々とりわけアジア諸国の人々に多大の損害と苦痛を与えました」という認識を示し「痛切な反省と心からのおわびの気持ち」を表明しました。
村山首相が社会党出身というに事とどまらずその後の(自民党中心の)日本政府の基本的見解となっています。
2005(平成17)年7月26日 平成17(2005)年7月26日夜 「過ち」部分を傷つけられた原爆死没者慰霊碑事件経過
2005(平成17)年8月6日
平和記念式典にて
  河野洋平衆議院議長挨拶の言葉
ここ平和記念公園の原爆死没者慰霊碑にある『過ち』とは何なんでしょうか?
 一つは、日本が明治維新以後、原爆投下の日までアジアの中で針路を誤り戦争への道を歩んだことです。
わが国には「アジア諸国の独立と民主主義の戦いに連帯する」という選択肢があったにもかかわらず実際歩んだのは欧米列強と同じ帝国主義の道でした。その帰結の一つが原爆投下だったのです。
 わたし達が繰り返していけないもう一つの『過ち』は核兵器という非人道的な兵器を同じ人類に対し使用した事実です。

人類と核兵器は共存できない。わたし達、日本人にはこの事を世界に訴える使命があります
ラダ・ビノート・パル
(ラダビノード・パール)
1886-1967
インドの国際法学者。
極東国際軍事裁判(東京裁判)の印度代表判事。この裁判で多数意見に対して国際法・英米法・証拠法に基づき被告人全員無罪の少数意見を提出した。のち国際連合司法委員会議長など歴任。
(これは日本無罪論として紹介しているものがありますがそれはパル博士の本意ではないと・・・)
国家として行われた行為の責任を個人に負わせることは不可であるとの立場であるそうです。

日本がアジアに君臨しようとしたのが大東亜戦争の実態であったことは否定しがたい事実とわたしは思っています。
※原爆ドーム1回目の保存工事{1967(昭和42)年}のための“原爆ドーム保存募金”に協力されています。
  関連頁:本照寺に建立の大亜細亜悲願之碑



平和記念公園」編



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(原爆死没者慰霊碑)旧・碑文趣旨・説明板
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