(光禅寺参道の)誓いの松

  佐伯区五日市の光禅寺参道横にある「誓いの松」と呼ばれるクロマツです。
広島市保存樹36にも指定されています。
江戸時代初期・延宝(1673-1681)年間に備後国駿河内村の住人:石井源蔵(三男)・半蔵(四男)兄弟が父(宇右衛門)の仇討ちの旅立ちに際し本懐を遂げるよう(光禅寺を訪れ)植えられた石井兄弟誓いの松だそうです。
光禅寺の第八代住職・霊応上人の兄で剣の達人であった大忍から兄弟は指南を受け亀山へ向け仇討ちの旅立っていきました。
その旅立ちに際して大忍は兄弟を前に1本の松を植え「本懐を遂げよ、この松の成長とともに兄弟の話も長く語り継がれるだろう]と励ましたそうです。
※広島市ひと・まちネットワーク五日市公民館・発行:西国街道ぶらり散策まっぷ他を参考にしました。
石井兄弟・29年目の仇討は、江戸時代の仇討物語として有名だそうですがわたしは知りませんでした。
〔物語によると〕
1673(延宝元)年11月18日 赤堀源五右衛門が外出中の石井宅に入り、 帰宅した宇右衛門を槍で殺し逃げました。
1701(元禄14)年5月9日 伊勢の亀山城外で仇を討ったそうです。
この「誓いの松」は、広島市保存樹に指定されています。
広島市(指定)保存樹
保存樹 36
樹種  クロマツ
樹高 6.5m
幹周 320cm
所在地 佐伯区五日市2-1-1
所有者(管理者) 光禅寺(星月夜)
指定年月日 平成17(2005)年3月23日
*広島市の以前の資料では保存樹32番でしたが、36番に変更され、2014年3月時点でもそうでしたので、この頁も訂正しました。
2007年光禅寺参道横に建立されている五日市町原爆死歿者慰霊碑を訪ねあれかなと思ったとき同時に目に飛び込んできた立派なマツで、広島市指定保存樹でした。
延宝年間からいうと300年ほど経っている松になりますね。
2012年に説明板が設置されていましたので撮影していましたが、編集していませんでした。
2015年の画像を加え、保存樹番号もいまのに合わせて訂正し、この頁を更新しました。
15.05.22.更新  07.03.14裕・編集

07.02.07撮影
広島市佐伯区五日市2-1-1 光禅寺参道

07.02.07撮影

07.02.07撮影
 「五日市町原爆死歿者慰霊碑」  と  “誓いの松”を支えるコンクリート柱

07.0818.撮影

12.04.22.撮影
「五日市町原爆慰霊碑」「誓いの松の説明板」が設置されていました

12.10.20.撮影

15.05.28.撮影

15.05.28.撮影

15.05.28.撮影



「植物」編



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光禅寺
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「旧(佐伯郡)五日市町」編


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