佐々木禎子ささきさだこさんがのこした「折り鶴おりづる

     (佐々木)禎子さんが残した折り鶴      佐々木繁夫氏・雅弘氏寄贈
禎子(1943-1955)さんは、鶴を千羽折ると願いがかなうという言い伝えを信じ、病気の回復を願って鶴を折り続けましたが、願いもむなしく亡くなりました。死後禎子さんをはじめ原爆で亡くなった子どもたちの慰霊と平和を守るための記念像がつくられました。
現在では、折り鶴は禎子さんの物語とともに平和の象徴として世界に広がっています。
2006年4月交流ウォークのときに原爆資料館内の資料をフラッシュをたかなければ撮影できるようになったと教えてもらい、この禎子さんが折った鶴を撮影しました。
展示されていた折り鶴はどこかでみたようなパラフィン紙などで折ったものもありました、以前薬包紙や包装紙を使って折られたものもあると聞いていたからかも知れません。

音声ガイド49番
2013年見学した時は音声ガイドも借りて聞きながら見学しました。
2006年の時は折り鶴展示ケース内の折り鶴しか撮影していなかったことを思い出し、ケース全体を撮影し、後ろの硝子ケースに鶴を折る前のセロファン、針を使って折った折り鶴などが展示してある事に気が付き撮影して、この頁を更新しました。
13.04.15更新     06.05.11裕編集

13.04.08.撮影
広島市中区中島町 広島平和記念資料館内       禎子さんが折った鶴の展示

06.04.15.撮影

06.04.15.撮影

13.04.08.撮影

  折りかけのセロファン 佐々木繁夫・雅弘両氏寄贈
当時(1955年=昭和30年)、折り紙は高価だったので折り鶴には包紙などを使いました。(佐々木)禎子さんは亡くなる数日前まで痛みをこらえながら折り続けました。鶴を折ろうと正方形に切ったセロファンが三角形に折られたまま12枚残されています。

  小さな折り鶴  梅田頼子氏寄贈
(佐々木)禎子さんは千羽に達しても鶴を折り続けました。鶴はしだいに小さくなっていきました。時には針を使って折る事もありました。
禎子さんにとって重要だったのは、出来あがった数よりも生きたいという願いを込めて折ることでした。

13.04.08.撮影



広島平和記念資料館


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