ひろしまけん さんぎょう しょうれいかん・げんばくひさいせつめいばん
広島県産業奨励館・原爆被災説明板
広島県産業奨励館・原爆被災説明板
爆心地から約160m
  この建物は、チェコの建築家ヤン・レツル(1880-1925)の設計監督により1915(大正4)年4月に完工し、特徴ある緑色のドームによって市民に親しまれていました。
1945(昭和20)年8月6日原爆は、この建物の南東約160m地点の上空約580m
で炸裂(さくれつ)したため、建物は大破・全焼して館内にいた全員が即死しました。その後、原爆の惨禍を全世界に伝えるとともに、世界平和へのシンボルとして1996(平成8)年12月、ユネスコの世界遺産一覧表に登録されました。
上空約600mと(も)云われています。
世界遺産一覧表に記載された英語の表現は、
           「HIROSHIMA PEACE MEMORIAL(GENBAKU DOME)」

03.02.23撮影
(内務省)中国四国土木出張所職員、広島県地方木材株式会社・日本木材株式会社広島支社・広島船舶木材株式会社等職員の方々30余名か一瞬のうちに亡くなったと云われています。
現在原爆ドームと呼ばれている建物は、1915(大正4)年4月(当時の)猿楽町に完工した広島県物産陳列館で、緑色の屋根(竣功時は銅板でしたので赤銅色の輝きでしたが、年とともに銅錆で緑色になっていきました)、特徴あるドームをもった建物でした。
1921(大正10)年1月広島県商品陳列所と改称。1933(昭和8)年11月に広島県産業奨励館となり、1944(昭和19)年3月には内務省中国四国土木出張所、広島県地方木材(株)、日本木材(株)広島支社等の(戦時)統制会社の事務所に使用されました。
(平和記念公園内建立の原爆被災説明板)
猿楽町通り周辺
広島県産業奨励館
中島地区
燃料会館
広島ぶらり散歩「平和記念公園」編の中の一頁として2000年に原爆ドームを取り上げました。
2004年に(わたしが)編集した「廣島縣産業奬勵館」の頁にこの「広島県産業奨励館・原爆被災説明板」を取り上げていました。
広島ぶらり散歩「原爆被災説明板一覧」編を編集して10年ほど経ちましたので、各頁を見直し、「廣島縣産業奬勵館」の頁から原爆被災説明板に関する事柄を分離し、画像も一新して「広島県産業奨励館・原爆被災説明板」として再編集しました。
14.07.30.分離再編集   04.04.03裕・編集

03.04.07.撮影
原爆被災説明板設置場所:広島市中区中島町1 、原爆ドーム所在地:広島市中区大手町1-11

03.02.23撮影

03.02.23原爆被災説明板の画像を撮影

14.07.17.撮影

14.07.17.撮影
(以前は原爆ドームの後ろに写っていた広島市民球場の照明塔は既に無くなっています)

14.07.17.撮影
南東側には(元安川に架かる)元安橋がみえます



「原爆被災説明板一覧」編


平和記念公園」編



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原爆ドーム(概説)
 被爆後1945年11月(米軍撮影画像)
(広島市設置)原爆ドーム説明板
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「原爆ドーム」編


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