原爆げんばくドーム:概説
原爆ドーム (きゅう廣島縣産業奬勵館ひろしまけんさんぎょうしょうれいかん
  1945(昭和20)年8月6日(月)8時15分米軍投下の原子爆弾の爆風がほとんど真上(広島県産業奨励館が爆心地から≒160mで原子爆弾が高さ≒600mの処で炸裂した)からであった事などで、壁の一部が残りドームの鉄骨が残りました。その形からいつしか「原爆ドーム」と呼ばれるようになったそうです。
原爆ドームの保存 
はじめは、「原爆による惨禍の証人として保存する」意見と「危険物であり、被爆の惨事を思い出したくないので取壊す」との意見の対立がありました。
1966(昭和41)年7月の(広島市)市議会にて満場一致で永久保存が決まりました。
世界遺産への登録 
  人類史上最初の原子爆弾による被爆惨禍を伝える歴史の証人として、また、核兵器廃絶と恒久平和を求めるシンボルとして1996(平成8)年12月「世界遺産条約」に基づきユネスコの世界遺産一覧表に記載されました。
2000(平成12)年から原爆ドームを(わたしは、デジタルカメラで)撮影して以来、少しづつ原爆ドームについて知ってきた事を別頁で編集しています。よければ原爆関連の別頁も下段のリンクからみてやってください。
2000年から原爆ドームを撮影しだしたとお話しましたが、方向・角度によっては、常に旧広島市民球場やその照明塔が、画像の中に写っていました。2011年度中に旧広島市民球場が解体されれる事になっています。(2011年)10月13日にみた時三塁側の照明塔が解体されていたので、撮影したのですが、2000年の撮影角度と違っていました。11月になり再度撮影し角度が少しばかり違っていますが、(わたしが)2000年からみた原爆ドームと変化がお解りになるだろうと、追加しました。
16.10.27.更新    00.01.15裕・記編集

00.01.10撮影
所在地:広島市中区大手町一丁目10番(被爆当時町名:猿楽町)  ≒南西方向から原爆ドーム(高さ≒25m)をみました

11.11.02撮影
2000年には写っていた(旧)広島市民球場照明灯が解体されました

01.11.09撮影

02.11.02(祇園高校文化祭で)撮影

 1945.11米軍撮影

04.01.01撮影
廣島縣産業奬勵館 廣島縣産業奨励館の模型 写真:広島平和記念資料館提供
(被爆当時)廣島縣産業奬勵館
広島県産業奨励館・噴水跡
15.07.30.更新 02.11.03.編集 03.10.09編集 15.08.01.更新

03.02.23撮影

08.06.02.撮影

08.09.19撮影

08.09.19撮影
(広島県産業奨励館)
原爆被災説明板
(広島市設置)
原爆ドーム説明板
(旧広島県産業奨励館)
湾曲した建物
(旧広島県産業奨励館)
ドームは楕円形
14.07.30.分離再編集 14.07.31.編集 15.07.30.更新 15.07.29.更新

15.07.29.撮影

15.07.29.撮影

15.07.29.撮影
(旧広島県産業奨励館)
中央木造螺旋階段跡
(旧広島県産業奨励館)
鉄骨螺旋階段
(旧広島県産業奨励館)
地下室への階段
15.08.05.編集 15.08.03.編集 15.08.03.編集

 16.09.24.撮影

 04.08.27撮影

15.03.26.撮影

08.10.02撮影
原爆ドームを上からみる ドーム部分拡大画像 (設計監督者)
ヤン・レツルの略歴
ライトアップしていました
16.10.27.編集 16.10.26,再編集 15.03.26.更新 09.02.03編集

06.02.18撮影
原爆ドーム健全度調査(平成17年11月28日〜平成18年3月31日)用の足場が組まれていた時の原爆ドーム

15.07.29.撮影
(内部の角パイプ、丸パイプなどは壁倒壊防止用のパイプです)

16.09.24.撮影
原爆ドームの東側にオープンした“おりづるタワー”からみました


「原爆ドーム」編


「平和記念公園」編



広島ぶらり散歩
原爆ドーム(概説)
 被爆後1945年11月(米軍撮影画像)
(広島市設置)原爆ドーム説明板
旧・廣島縣産業奬勵館
広島県産業奨励館・原爆被災説明板
(広島県産業奨励館は)湾曲した建物
原爆ドーム鉄骨部分(楕円形について)
設計者:ヤン・レツルの略歴
旧広島県産業奨励館・中央木造螺旋階段
旧広島県産業奨励館・鉄骨螺旋階段
旧広島県産業奨励館・地下室への階段
広島県産業奨励館・噴水跡
  広島県産業奨励館噴水の吐水口


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