(広島市設置)原爆ドーム説明板
  中区大手町の平和記念公園(大手町地区)の原爆ドーム南(西)側に設置されている「原爆ドーム説明板」です。
広島市は、2005(平成17)年3月「世界遺産 原爆ドーム」と銘打った説明板を原爆ドームの南西側に設置しました。
説明板には、「広島県物産陳列館の建設」「原爆ドームへ」「保存への取り組み」「世界遺産への登録」について簡潔に説明・解説しています。
当初、説明板は日本語と英語だけの表記でした。
2011(平成23)年4月説明板は、中国語とハングルを加え、リニューアルされました。
説明板は縦1.7m、横2.6mの大きさだそうです。

06.02.18.撮影
被爆前の広島県物産陳列館
広島県物産陳列館の建設
  原爆ドームのもとの建物は、チェコ人の建築家ヤン・レツル(1880-1925)の設計により1915(大正4)年4月に広島県物産陳列館として完工し、特徴のある緑色のドームによって市民に親しまれていました。
館は、県物産の展示・即売、商工業に関する調査・相談などを業務としていましたが、美術展や博覧会など文化事業にも利用されました。
その後、広島県立商品陳列所、広島県産業奨励館と改称し、業務の拡大が図られておましたが、戦争の長期化・激化とともに業務が縮小され、内務省中四国土木出張所、広島県地方木材株式会社など官公庁等の事務所として使用されました。
被爆直後の広島県産業奨励館
原爆ドームへ
  1945(昭和20)年8月6日(月)午前8時15分、米軍のB29爆撃機が、人類史上最初の原子爆弾を投下しました。原爆は、広島県産業奨励館の南東約160m地点の上空約600mで炸裂し、建物は大破・全焼、館内にいた全員が即死しました。
しかし、爆風が上方からほとんど垂直に働いたため、建物の壁の一部は倒壊を免れ、最上部に残った鉄骨により円蓋(えんがい≒ドームのこと)をもつ建物であったことがわかる程度の残骸となりました。
戦後、広島県産業奨励館の残骸は、最上部の円蓋鉄骨の形から、いつしか市民から、原爆ドームと呼ばれるようになりました。
第1回保存工事の状況
保存への取り組み
  原爆ドームについては、当初、記念物として残すという考え方と、危険建造物であり被爆の悲惨な思い出につながるということで取り壊すという二つの考え方がありました。しかし、市街地が復興し、被爆建物が姿を消していく中で、保存を求める声が次第に高まりを見せ、1966(昭和41)年、広島市議会が原爆ドームの保存を決議しました。
これを踏まえて、保存工事のための募金運動が行われ、国の内外の平和を願う多くの人々の寄金により1967(昭和42)年4月〜8月、第1回目の保存工事が行われました。
その後、第2回1989(平成元)年10月〜1999(平成2)年3月、第3回2002(平成14)年10月〜2003(平成15)年3月の保存工事が行われ、原爆ドームは被爆当時の姿を今に伝えています。
西側上空からの姿
世界遺産への登録
  1996(平成8)年12月、原爆ドームは、人類史上初めて使用された核兵器の惨禍を伝える歴史の証人として、また、核兵器の廃絶と世界の恒久平和の大切さを訴え続ける人類共通の平和記念碑として、世界遺産(文化遺産)に登録されました。
また、原爆ドーム周辺は文化財保護法による国の史跡に指定されるとともに、平和記念公園周辺を含む区域に緩衝地帯(バッファーゾーン)が設定され、原爆ドームの保護が図られています。
広島ぶらり散歩「平和記念公園」編の中の一頁として2000年に原爆ドームを取り上げました。
2005年原爆ドームの説明板が広島市によって設置されました。
原爆ドームを撮影する時にこの説明板も写っていましたが、広島ぶらり散歩「原爆ドーム」編でこの説明板で説明していることはほぼ頁にしていましたので、今まで頁を編集していませんでした。
今(2014)年広島県産業奨励館・原爆被災説明板の頁を分離独立した頁に編集している時、この説明板は簡潔に原爆ドームを説明しているなと思いましたので、過去に撮影していた画像を探して、この頁を編集しました。
 14.07.31.裕・記編集

05.02.02.撮影
広島市中区大手町1-11   (まだ説明板が設置されていなかった時)

05.11.19.撮影
普段は多くの観光客が説明板の前で説明文を読んでいます

08.06.02.撮影
この日は雨でしたので説明板がわかるなと撮影しました

11.12.10.撮影
(日本語と英語だけでしたが)中国語とハングルを加えリニューアルされた説明板
被爆前の広島県物産陳列館    写真提供:平和記念資料館 被爆直後の広島県産業奨励館    写真提供:平和記念資料館
第1回保存工事の状況    写真撮影:広島市 西側上空からの姿     写真撮影:井出三千男氏

13.01.21.撮影
遊覧船(宮島とを結ぶ世界遺産航路)が元安川を上っていましたので撮影しました

12.08.01.説明板撮影
平和記念公園(周辺)に設置の各種説明板
1 名勝・平和記念公園(説明板)
2 平和記念公園(原爆で失われた街中島地区)
3 爆心地・原爆被災説明板
4 猿楽町通り周辺・原爆被災説明板
5 広島県産業奨励館・原爆被災説明板
6 元安橋・原爆被災説明板
7 燃料会館・原爆被災説明板
8 中島地区・原爆被災説明板
17 本川国民学校・原爆被災説明板
9 元柳町・説明板
10 材木町・説明板
11 天神町・説明板
12 中島本町・説明板
13 原爆ドーム・説明板
14 原爆供養塔説明板(旧町界と町名・図)
15 中島本町被爆復元地図:板
16 中島勧商場跡説明碑
 



「原爆ドーム」編


平和記念公園」編



広島ぶらり散歩へ
原爆ドーム(概説)
 被爆後1945年11月(米軍撮影画像)
(広島市設置)原爆ドーム説明板
旧・廣島縣産業奬勵館
広島県産業奨励館・原爆被災説明板


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