元安橋・原爆被災説明板

  中区大手町、元安橋東詰南側に建立されている「旧・元安橋(もとやすばし)原爆被災説明板」です。
1926(大正15)年竣工した(旧)元安橋は、1945(昭和20)年8月6日(月)米軍投下の原子爆弾で被爆しましたが落橋は免れ戦後も補修され使用されていました。1993(平成4)年現在の元安橋に架け替えられました(ので)。
この元安橋原爆被災板は通称で、旧元安場原爆被災板が正式名称になると思います。
旧元安橋・原爆被災説明板  爆心地から約130m
原子爆弾の爆風により点灯装置の笠石が左右反対方向にずれ、欄干も元安川に転落したが、橋自体は爆心直下のため崩壊を免れた。この状況は、その後爆発点測定の重要な資料となった。
現在の元安橋は、大正15(1926)年の架橋時の姿に復元したものであり、被爆当時の親柱・中柱をそのまま利用した。さらに、歴史の証人として中柱2基をここに保存するものである。
平成4(1992)年5月25日 広島市
2004年撮影したここ旧元安橋原爆被災説明板碑文には(被爆実相の風化が叫ばれていますが)原爆投下の年月日がありませんでした。
今(2017年)回撮影した新しい原爆被災説明板(下欄)の碑文には日時が入っていました。
また、文章も役所的“だ・である(紋切り)調”から“です・ます調”になっていました。
米軍(米国機)が投下したことも触れることが必要とわたしは思っています。(現在は友好国であろうとも忖度はいらないと思うからです。)
1945(昭和20)年8月6日午前8時15分、原子爆弾の爆風により点灯装置の笠石が左右逆方向にずれ、欄干も元安川に落下しましたが、橋自体は崩壊を免れました。この状況は、その後爆心地を推定する重要な史料となりました。
現在の元安橋は、1992(平成4)年に被爆当時の親柱。中柱を利用し、1926(大正15)年の竣工当時の姿を再現したデザインで架け替えたものです。ここには、被爆した中柱2基を保存しています。
元安橋東詰南側に設置されています。以前から元安橋に関する碑だなとは気がついていたのですが(わたしは)ろくに説明板を読んだことがありませんでした。
2004(平成16)年1月にはじめて撮影しましたが、頁を編集するために5月に改めて撮影しました。
頁を編集してから10年ほど経ちましたので、今(2014)年広電本通り電停で降り東側からこの原爆被災説明板をみたとき、こんなに黒い画像だったかな〜と思いました。10年の月日が説明板の画像、文章を不鮮明なものにしているようでした。画像を増やし再編集しました。
17.07.28.更新   14.07.24.再編集   04.05.15裕・編集

04.05.12撮影
広島市中区大手町1-9元安橋東詰南側緑地  旧元安橋中柱と原爆被災説明板

04.01.25原爆被災説明板を撮影
画像は原爆被災説明板、1945(昭和20)年10月 岸本吉太氏撮影のものです

17.06.23原爆被災説明板を撮影
(2014年には日焼けしてほとんど読めなかった)原爆被災板2017年には新しい被災説明板に取り替えられていました

14.07.17.撮影
原爆被災説明板前には(10年前にはなかった)レストランが出来ています

14.07.17.撮影
旧元安橋中柱と(経年変化で黒ずんできている)原爆被災説明板

14.07.17.撮影
旧元安橋中柱と原爆被災説明板 を対岸平和記念公園側からみました

17.06.23.撮影
 (新しい原爆被災説明板になっていることに気が付き)2017年撮影しました

17.06.23.撮影
’被爆した(旧元安橋の中柱と原爆被災説明板



「原爆被災説明板一覧」編



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元安橋
(被爆した)旧元安橋の欄干
元安橋・原爆被災説明板
(元安橋下)目的不明・鋲


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