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中区大手町地区と中島町を結び、元安川に架かる「平和大橋」です。 |
*猿猴川には「平和橋」が架橋されていますがそれとは違います。 |
平和大橋は、1952(昭和27)年6月3日完工式が行われました(竣工板には昭和27年3月とあります)。
橋長さ:85.55m、幅15m。4径間単純鈑桁橋です。 |
1951(昭和26)年11月、市民公募により平和大通りと名づけられた“平和大通り”の平和記念公園への導入路として、元安川には「平和大橋」が、本川には「西平和大橋」が架けられました。
「平和大橋」の名称は、懸賞募集による1,400余点の中から決められ、平和大橋が日の出(未来)を、西平和大橋が日の入り(過去)を表現したデザインだそうで、米国の彫刻家イサム・ノグチ(1904-1988)によるデザインです。※
市議会をはじめ市民から「イモ虫みたいな欄干で子どもが川に落ちて危ない」などの反対意見が出され、結局、欄干は当初設計より20cm高く変更されたそうです。しかし、丹下健三(1913-2005)東大教授(当時)は「私の設計した平和記念公園を引き立てる立派な橋だ」と賞賛されたそうです。 |
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平和大橋の欄干について、わたしは平和大橋が“日の出”、西大橋が“日の入り”をあらわしていると聞いていましたが、広島市の資料によるとこの平和大橋を「つくる」、西平和大橋を「ゆく」とイサム・ノグチは名付けているそうで、
『イサム・ノグチ氏は、「設計の際、私は、建設の理念、すなわち新たに自己の生活を建設する者の特に再建広島の理念を伝えるものとすべきであると考えていました。従って、私は、建設を意味する名前をその橋に付けたいと思います。」と述べており、「つくる」と命名しています。
イサム・ノグチ氏は、もともとこの橋を「いきる」と名付けていましたが、同じ時期に、黒澤明(1910-1998)監督の「生きる」という映画が公開されていたため、「いきる」から「つくる」に変更したというエピソードがあります。』とありますので、追記しました。 |
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当初平和大橋については、(デザインが)芋虫と云われたことがあったそうで、それはデザインへの言いがかりなので論外ですが、手摺の高さに関しては“低い”とわたしは思います。
自転車ですれ違う時などは危ないのでもう少し(手摺の高さを)高くしたほうがいいのではと思っています。このこと(手摺の高さに関しては)はデザインよりも安全が優先されなくてはと思っていますのであえて記述しました。 |
2000年にこの頁を編集した時(わたしは)手摺が低く橋のデザインより安全を考えるべきではないかと記述しました。
2008年5月5日フラワーフェスティバルが行われている平和大橋を渡った時に(仮設の嵩上げ)手摺が取り付けてありましたので撮影しました。6月7日に通った時は撤去されいましたので仮設はあくまで仮設だったのでしょうが、歩行時の安心感が違うと思いますので画像を追加してみました。 |
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もともとは、天神町と大手町4丁目を結ぶ橋として“新橋”が架橋されていました。
1918(大正7)年木桁橋(爆心地より≒420m)として架け替えられたそうですが、1944(昭和19)年洪水で一部破損したことから下流(南側)に新しい木桁橋(爆心地より≒490m)の工事をしていましたが、
竣工直前の1945(昭和20)年8月6日被爆して、新旧(新橋)ともに橋桁が落下し通行不能になったそうです。
新橋とほぼ同位置にこの平和大橋が架けられました。 |
関連頁:(戦前架橋されていた)新橋 |
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広島市は平和大通り新世紀リニューアル事業基本計画づくりを進めており、西平和大橋、緑大橋を含め架替計画があることは知っていましたが、新聞報道によると |
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広島市の試算で平和大橋が約45億円、西平和大橋が約55億円、緑大橋が約40億円かかることから、近年流行?の民間資金を活用する事業(PFI=Private
Finance Initiative)方式で検討したが国土交通省の『橋建設に民間のノウハウを持込むことは難しく、財政破綻の広島市の形態をかえた借金になるのでは?』との見解で計画がつまずいた事を知りました。
『震災時落橋の危険が高いと判定されている』西平和大橋と緑大橋は1997(平成7)年度耐震補強(橋脚と橋桁をボールト等で緊結などの対策を)したそうですが、平和大橋は先行架替を予定していたので補強工事はされていないとの事です。05.01.18裕・記編集 |
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2011年2月9日中國新聞を見ていると
『広島市は今秋、(国際コンペで決定した)平和大橋歩道橋の新設工事に着手する。現・平和大橋の両側にある幅1.8mの歩道が狭く、歩行者の安全確保を図るためで、2014年度の完成を目指す。』とありました。 |
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ところが(平和大橋東詰交差点の廃止で)、元安川左岸道路が使えなくなると付近住民が反対しました。そのため平和大橋歩道橋は設計見直しになると2012年9月の新聞報道で知りました。
国際コンペまでして決定したというのに付近住民への説明、同意を得ていなかったという広島市の不手際で、新たな予備設計などのため、990万円の補正予算案が発表されています。 |
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2013年1月平和大橋をみたとき「平和大橋下部工補修工事(その4)」が7,840万円ではじまっていましたので、別頁に編集します。それにしても、この工事で終わりではなくまだまだ補修関係の工事が続くようです。 |
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2014年11月になって平和大橋歩道橋橋下工事(その1)工事費8,420万円ではじまったことを設置の看板をみて知りました。
『平和大橋歩道橋のあらまし』と題した看板もあり、
1)目的、2)事業の内容:橋幅5.7m、橋長86m、事業期間平成26年度〜平成30年度(予定)が書いてあり、その下に整備イメージ図(下段に掲載)があります。 |
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平和大橋北隣に建設中だった平和大橋歩道橋が2019年3月21日(木)10時00分から一般開放されることになったそうです。
平和大橋歩道橋は橋長86m、幅員5.7mで歩行者と自転車のレーンは色を分け、日没後は分離線をライトライトアップする仕掛けになっていて、欄干は強化ガラス張りのシンプルなデザインで、平和大橋欄干をデザインした彫刻家イサム・ノグの欄干を引き立てるデザインになっているそうです。19.03.18.追記 |
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国際コンペで入選作を決めたものの住民への説明もなかった計画案ということで白紙に戻った平和大橋歩道橋の工事が2014年暮れから始まったことを知り、撮影してきていますので、別頁で編したいと思っています(がまだ編集していません)。
また、2008年に公園内に設置された「(旧)天神町・説明板」に元々架かっていた“新橋”の写真が掲載されていますのでこれは別頁で編集しました。 |
2019(平成31)年3月21日に平和大橋(4径間)に寄り添うように上流側に平和大橋歩道橋(2径間)の渡りはじめ式が執り行われました(ので)橋姿がかわりました。
4月になりましたが撮影していましたので画像を加えこの頁を更新しました。(平和大橋歩道橋は別頁で編集しました。リンクURLは下段にありますので見ていただければ幸いです)。 |
(敬称は略しました) |
20.01.20.更新 00.08.22裕・編集 |
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