西平和大橋

  中区河原町・土橋町と中島町(平和公園地区)を結び、本川(旧太田川)に架かる「西平和大橋」です。
※旧太田川とは、戦後太田川放水路が整備されそちらが太田川本流になったことからそう呼称されています。
(本川:大田川本流)に、新大橋が、1873(明治6)年木橋として架橋されました。
老朽化などにより架け替えられることになり、1922(大正11)年RC桁橋として竣工しました。
1945(昭和20)年8月6日米軍投下の原爆で(爆心地から≒620mでありましたが)欄干が破損するなどの被害はあったものの渡ることができたそうです。しかし、同(昭和20)年9月の枕崎台風で落橋したそうです。
その新大橋とほぼ同位置
*に架橋されたのがこの西平和大橋なのです。
西平和大橋は、橋長:101.9m、幅:15m、5径間の単純鈑桁橋です。
欄干のデザインは、平和記念公園の東に位置する平和大橋が日の出(未来)を、西側に位置するこの西平和大橋が日の入り(過去)を表現したデザインだと(わたしは)聞いていましたが、
広島市の資料によると『平和大橋を「いきる」という命名に対してこの西平和大橋を「しぬ」と名付けていましたが、「しぬ」から「ゆく」に変更したというエピソードがあります。』とありますので追記しました。 米国の彫刻家イサム・ノグチによるデザインです。
広島市は平和大通り新世紀リニューアル事業基本計画づくりを進めており、平和大橋、緑大橋を含め架替計画があることは知っていましたが、新聞などの報道によると
広島市の試算で、平和大橋が約45億円、西平和大橋が約55億円、緑大橋が約40億円かかることから、近年流行?の民間資金を活用する事業(PFI=Private Finance Initiative)方式で検討したが国土交通省の『橋建設に民間のノウハウを持込むことは難しく、財政破綻の広島市の形態をかえた借金になるのでは?』との見解で計画がつまずいた事を知りました。
『震災時落橋の危険が高いと判定されている』西平和大橋と緑大橋は1997(平成7)年度耐震補強(橋脚と橋桁をボールト等で緊結などの対策を)したそうですが、平和大橋は先行架替を予定していたので補強工事はされていないとの事です。
(05.01.18追記)
平和大橋と同じくこの西平和大橋も手摺は低いと(わたしは思います)自転車とすれ違う時などは危ないと思います。もう少し高くすべきとデザインよりも安全をと思います。
2001年に平和記念公園附近の橋の頁を編集しようとこの西大橋を撮影をしたのです。
何度となく渡っているこの西平和大橋ですが、旧・新大橋の跡が護岸に残されているのに2011年気付きましたので、撮影しました。
2015年この辺りに建立の原爆関連の慰霊碑などを撮影しましたので、この西平和大橋も撮影していました。2017年になり平和大橋の頁を更新しましたのでこの西平和大橋の頁も更新しました。
17.02.27.更新    02.10.22裕・記編集

01.04.05撮影
広島市中区河原町・土橋町と中島町(平和公園地区)を結ぶ西平和大橋を南西より見る

01.04.05撮影

01.04.05撮影
西南よりいました  平和記念公園方面(基町クレド・ビル) 南東よりみました

 02.11.01撮影

 01.04.05撮影

04.01.31撮影

04.01.31撮影

15.02.08.撮影
≒東北からみました

15.02.08.撮影
≒東南からみました  (西詰向側:白い建物は中国新聞社社屋です)

15.02.08.撮影
東詰の方からみました
旧・新大橋の残り香
  関連頁:(戦前元安川に架橋されていた)新橋 

11.08.06.撮影
本川右岸(西側)、旧・新大橋の橋受け部分が残されています (画像左下に写っているのが現在の西平和大橋の手摺)

11.08.06.撮影
平和記念公園側(東側)の護岸石積みが違っているところが旧・新大橋の処でしょう



「広島の橋」編


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