やすのばし
安野橋

  広島県山県郡安芸太田町穴を流れる太田川に架かる「安野橋」です。
※橋長:106.5m。2径間、PC桁橋。
※竣工:1989(昭和64)年2月。(山県郡加計町時代に架橋された橋です)
*竣工板は“昭和64年2月竣工”となっていますが、昭和64年は昭和天皇が崩御されたことで1月7日までで、2月は正式には“平成元年2月”でなくてはならないのですが、既に竣工板が出来上がっていたことから余分な費用を使わないとの判断からでしょうか?そのままになっています。
(この処置は、
崩御された昭和天皇はお許しになる事だろうとわたしは思いましたので取り上げました)
1889(明治22)年4月1日町村制施行時、穴村+坪野村=山県郡安野村が発足。
1956(昭和31)年9月30日安野村+加計町=新しい加計町。

2004(平成16)年10月1日加計町+筒賀村+戸河内町=山県郡安芸太田町は
太田川に架橋の橋々を祇園大橋から上流側へ野冠橋まで撮影して編集してきました。
今(2022年5月)回は、息子が考えてくれた、志和ICから山陽自動車道に乗り、中国縦貫自動車道・加計スマートICで降りて“(廃線JR可部線)第六太田川橋梁”から下流側の橋々を撮影しながら野冠橋の上流側“宇賀大橋”まで17橋を撮影していこうと提案してくれたのです。
妻が乗っていたわが家の軽自動にはETCがなかったのでこの計画自体が出来なかったのですが、軽自動車のように狭いところが走れないからとは云われていましたが、老人のわたしには疲れましたがスムーズに撮影出来たのでした。
橋銘板は、普通親柱に取り付けられていますので、橋本体を撮影しながら見たのです。
この橋名は“あんのばし”だろうと思っていたわたしは、「やすのばし」だったのかと間違いに気付いたところで、竣工年板をみたのです。“昭和64年2月”となっていたのです。
その昭和64年になった当時、現役建築屋で突貫工事施工中だったわたしには思いで深い年(昭和64年)だったので、昭和64年は1月7日までで、2月は
平成元年2月なのだとすぐに思ったのです。
この橋では、既にこの竣工板は発注され出来ていたから契約工期も昭和64年2月までとなっていたことからそのまま設置されたのだろうと考え、これでいいのではと新しく天皇に即位された平成天皇もお許しになる事だろうと思った次第なのですが。
この橋でも、土木技師の息子に
橋梁というもの下から見上げなくてはならないものだと耳にタコができるほど聞かされた考え方から隅切部分のスラブ受けの梁はPC桁橋ではこうなるのが普通なのかと。
 22.05.22.裕・記編集

22.05.06.撮影
山県郡安芸太田町穴252に架かる安野橋を西詰からみました

22.05.06.撮影
西詰めには“温井(ぬくい)ダム放流時サイレンでの注意がある”という看板設置

22.05.06.撮影

22.05.06.撮影
安野橋 やすのばし

22.05.06.撮影
竣工板:昭和64年2月はありません(昭和天皇崩御されたので)平成元年2月なのです

22.05.06.撮影
(温井ダム放流時の)ウ~ウ~ウ~サイレンが鳴ったら(河原)川から上がろうネ!!

22.05.06.撮影

22.05.06.撮影
西詰上流側からみました

22.05.06.撮影
西詰下流側からみました

22.05.06.撮影
西側橋台部分をみました

22.05.06.撮影
東詰から安野橋(の隅切)をみました

22.05.06.撮影

22.05.06.撮影
隅切部分の受梁をみました



   (太田川)
(廃線可部線)第六太田川橋梁
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広島の橋」編



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