吉ヶ瀬橋

  広島県山県郡安芸太田町坪野と安芸太田町中筒賀を結び太田川に架かる「吉ヶ瀬橋」です。
(国交省の資料によると)中国電力が管理している橋梁とありましたので、この吊り橋の右岸南側に建てられている中国電力吉ヶ瀬発電所と国道191号(当時は国道ではなかった)を結ぶために架橋されたのでしょう。
※(制限重量3.0tの主スパン)吊り橋+(副スパン)3径間鋼桁橋=4径間の橋です。
右岸側吊りワイヤーアンカー留の関係で副スパンを設けたのだろうと(わたしは)思いました。
*1970(昭和45)年4月1日(この辺り)広島県部分が一般国道191号に指定されましたので。
※吉ヶ瀬発電所は(中国電力の資料によると)
 住所:山県郡安芸太田町中筒賀。水系:太田川・寺領川ほか。
 発電開始:1944(昭和19)年。形式:水路式。出力:18,900kw。使用水量:20.0m
3/s。落差:114.08m
※水路式発電所:川の上流に小さな堰堤をつくって水を取り入れ、長い水路で適当な落差が得られるところまで水を導き、発電する方法です。
1889(明治22)年4月1日町村制施行時、穴村+坪野村=山県郡安野村が発足。
1889(明治22)年4月1日町村制施行時、中筒賀村+上筒賀村=山県郡筒賀村が発足。

1956(昭和31)年9月30日安野村+加計町=新しい加計町。

2004(平成16)年10月1日加計町+筒賀村+戸河内町=山県郡安芸太田町。
太田川に架橋の橋々を祇園大橋から上流側へ野冠橋まで撮影して編集してきました。
今(2022年5月)回は、息子が考えてくれた、志和ICから山陽自動車道に乗り、中国縦貫自動車道・加計スマートICで降りて“(廃線JR可部線)第六太田川橋梁”から下流側の橋々を撮影しながら野冠橋の上流側“宇賀大橋”まで17橋を撮影していこうと提案してくれたのです。
妻が乗っていたわが家の軽自動にはETCがなかったのでこの計画自体が出来なかったのですが、軽自動車のように狭いところが走れないからとは云われていましたが、老人のわたしには疲れましたがスムーズに撮影出来たのでした。
この吉ヶ瀬橋の架橋年月日は(わたしには)わかりませんが、中電吉ヶ瀬発電所が先の大戦末期の電力不足を少しでもカバーしようと1944(昭和19)年発電を開始していることを中電の公開資料で知ったので、その年以前に発電所建設と同時期に架橋されたのではないかとも(わたしは)考えたのです。
(しかし、資材不足で完成出来たのか?との疑問もありますが)
いずれにしても戦後整備され現在の形になったことは確かかなと思いましたが、小型のトラックであってもどんどん渡れるという橋ではないな~と思いながら撮影しました。
 22.06.10.裕・記編集

22.05.06.撮影
山県郡安芸太田町坪野と同町中筒賀を結び太田川に架かる(手前)吊り橋・吉ヶ瀬橋 (奥側建物)吉ヶ瀬発電所

22.05.06.撮影
山県郡安芸太田町坪野側(国道191号側)からみました

22.05.06.撮影

22.05.06.撮影
国道191号側からみました

22.05.06.撮影
 
国道191号を跨いで(下流側の)吊りワイヤーアンカー部分をみました

22.05.06.撮影
吉ヶ瀬橋上からアンカー部分をみました

22.05.06.撮影
鋼桁橋部分上から吊り橋部分を見ました

22.05.06.撮影
中筒賀側からみました

22.05.06.撮影
下流側からみました

22.05.06.撮影
(副スパン)鋼桁橋部分は3径間

22.05.06.撮影
吊りワイヤーアンカー部分をみました

22.05.06.撮影

22.05.06.撮影
(上流側)吊りワイヤーアンカー部分をみました



   (太田川)
(廃線可部線)第六太田川橋梁
(中国自動車道)中国太田川橋
砂ヶ瀬橋
筒賀橋
向光石橋
吉ヶ瀬橋
(廃線可部線)第五太田川橋梁
安水橋
津伏橋
(廃線可部線)第四太田川橋梁
程原橋
安野橋
(廃線可部線)第三太田川橋梁
(廃線可部線)第二太田川橋梁
追崎橋
(廃線可部線)第一太田川橋梁
宇賀大橋
広島の橋」編



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