平和記念公園・広場の四季(2016年)

  中区中島町の平和記念公園広場の四季を撮影していこうとする頁です。
ここでは「平和記念公園広場の四季2016年」を取り上げています。
今(2016)年も平和記念資料館・本館(通称:原爆資料館)下のピロティー付近から、四季折々平和記念公園の広場を見て季節の移ろいを感じていきたいと思っていましたが、春からは通称・原爆資料館の耐震工事が始まることから広場を撮影はできなくなると思います。また、昨(2015)年暮れには耐震工事前の発掘作業で、いままでの定点から原爆死没者慰霊碑方向がが撮影できなくなっています。
ことしは、原爆死没者慰霊碑前から南側をみることをメインに据えて四季折々撮影していこうと思っていますので、お付き合いいただければ幸いです。
12月22日(木)12時半ころ。全般的には雨でしたが、小雨になるときがあり、時々強い風が吹きました。
広島赤十字病院での定期検診でしたのでその後立ち寄り撮影したのです。今年最後になるであろう撮影でしたがあいにくの雨でした。平和記念資料館東館の無料休憩所でおにぎりを食べながら小雨になるときを待っていましたが上がらないな~と撮影に出ました。
冬で、雨の日でしたので観光客も少ない平和記念公園広場でした。
16.12.23.更新    16.01.24.裕・記編集

16.09.15.撮影

16.10.20.撮影

16.11.26.撮影

16.12.22.撮影
2016年9月の広場 2016年10月の広場 2016年11月の広場 2016年12月の広場

16.05.24.撮影

16.0616.撮影

16.07.16.撮影

16.08.18.撮影
2016年5月の広場 2016年6月の広場 2016年7月の広場 2016年8月の広場

16.01.23.撮影

16.02.28.撮影

16.03.22.撮影

16.04.27.撮影
2016年1月の広場 2016年2月の広場 2016年3月の広場 2016年4月の広場
2016年12月

16.12.22.撮影
撮影しているときは雨が小降りになってきました(傘をたたむ人も出てきていました))
12月17日(土)市民の奉仕会によって清掃された「平和の池」

16.12.22.撮影
 発掘作業は終わっていますが、その時の残土が積まれていますので、仮囲いはそのままです

16.12.22.撮影
仮囲い前から広場、原爆死没者慰霊碑、原爆ドームをみました

16.12.22.撮影
平和記念資料館・東館と本館を繫ぐ空中歩廊の柱横から広場をみました。来年からはここが定点にと思っていますが。
2016年11月
11月26日(土)13時少し前。はれからくもりに入っていました。
新聞報道で、来月から通称・原爆資料館の耐震工事がやっとはじまりことを知りました(下記)
いよいよ、通称・原爆資料館南側から原爆死没者慰霊碑をみることができなくなり、撮影定点としていた場所からは仮囲いを写した寂しい画像に(この平和記念公園の四季の頁を続けておれば)2019年までなりますね。
今月はさすがに観光季節を過ぎたからでしょう、観光バスは一台も止まっておらず、観光客も少ないように思いました。
発掘作業もそろそろ終わりなのでしょう(土曜日で作業員はいませんでしたが)片付けが始まっているようでした。
11月25日中國新聞の記事に目が留まりました。
『広島市は来(12)月にも通称・原爆資料館(平和記念資料館・本館)で初の耐震補強工事に着手する。
事前の発掘調査が長引き、当初予定した10月からずれ込んでいたが、工事業者を一般競争入札で大林組に決定したため。本館は2017年2月から2018年7月ごろまで休館となる見込みという。工事は2019年7月までの完了を目指す。
耐震工事では、本館地下を掘削し、地中の現在の基礎部分に揺れを吸収する免震装置を取り付ける。
落札額は23億9千万円。来(12)月の広島市議会定例会に、工事契約締結に関する議案を提出し、可決されれば、本館の周囲を広くフェンスで囲い、立ち入り禁止にする作業を始める。2017年2月に本館を休館にした後、本格作業を進める。
広島市は、2015年11月から続けている被爆遺構などの発掘調査を年内に終える。
また、2014年9月から改装のため閉じていた東館の展示スペースを、本館の休館と入れ替わる形でリニューアルオープン。本館にある被爆資料の一部を東館で展示する。
2018年7月までには本館を再オープンするという。』とありました。
(わたしは)常々この芝生広場の開放を願っているのです。
1982(昭和57)年ふるさと広島に帰ってきた来たときはこの芝生広場は解放されており、まだ小さかった子どもたちと芝生の上で弁当を食べ子どもたちはボールなどで遊び、わたしは普段の疲れをとるかと、ごろっと寝ころんでいたことを思い出すのです。その時は地面が見えるところもあったようにも思います。
緑緑しているのにこしたことはないと思いますが、少々地面が見えたことをいちいち気にすることはないと思いますので、ここで取り上げました。
それよりも、最近は修学旅行生などがとくに増え、晴れた日でも通称・原爆資料館下の石畳で弁当を広げていることを見るにつけ、この芝生広場を開放していただけないのかと思っているのです。
  16.11.27.裕・記編集

16.11.26.撮影
原爆死没者慰霊碑の前はすこしばかり混雑していましたが、冬なりの観光客の数かなと(わたしは)思いました

16.11.26.撮影

16.11.26.撮影
仮囲いの処から広場をみました

16.11.26.撮影
先月問題になっていた広場東側の芝生が枯れ地面がみえている処。今月もありました

16.11.26.撮影

16.11.26.撮影
仮囲いの中では、土曜日でしたので発掘作業自体は行われていませんでしたが、片付けに入っているのかなと

16.11.26.撮影
発掘作業用仮囲いで、定点からは原爆死没者慰霊碑はみえません
2016年10月
10月20日(木)11時過ぎ。はれ。
先月(9月)から再開された発掘作業が行われていましたので、祈りの泉北側から通称・原爆資料館下のピロティーを通して平和記念公園広場、原爆死没者慰霊碑、その向こうの原爆ドームを望むことはできません。
秋の観光シーズンだからでしょう、修学旅行課外学習の多くの小中学生が訪れていました。また、ニュースなどで見聞きする現在外国人で一番の訪問者・米国人の多くをみました。英語だけではなくフランス語も聞きましたので多くの国から訪れているようでした。
通称・原爆資料館南広場に留まっていた観光バスは、工事の関係からか、本川沿いの道路に留まり、相生橋上にはみ出て止まっているような状態でした。
今月(10月)はじめ中國新聞の記事に目が留まりました。
『平和記念公園の、原爆慰霊碑前の芝生広場(≒5,000㎡)の芝の一部が傷み、地面がむき出しになっています。特に東側で目立っています。広島市は長雨の影響とみて、薬剤散布などの対応を検討しているようです。
公園整備課によると、9月28日に把握し、植物公園職員が現場を確認し、雨が続いて水たまりができたために土中にいる何らかの菌が増殖した可能性があり、一部は枯れてたと考えられます。
芝生広場は、1994(平成6)年度に全面張り替え、毎年10回程度、除草などの手入れをしています。原爆忌8月6日の平和記念式典時を除き、一般の人を立入禁止にしています。公園整備課の担当者は「記憶する限り初めての事態。薬剤をまき、拡大を防ぎたい」としているそうです。』とありましたので、今月撮影するときは気にしてはいました。
(わたしは)常々この芝生広場の開放を願っているのです。
1982(昭和57)年ふるさと広島に帰ってきた来たときはこの芝生広場は解放されており、まだ小さかった子どもたちと芝生の上で弁当を食べ子どもたちはボールなどで遊び、わたしは普段の疲れをとるかと、ごろっと寝ころんでいたことを思い出すのです。その時は地面が見えるところもあったようにも思います。
緑緑しているのにこしたことはないと思いますが、少々地面が見えたことをいちいち気にすることはないと思いますので、ここで取り上げました。
それよりも、最近は修学旅行生などがとくに増え、晴れた日でも通称・原爆資料館下の石畳で弁当を広げていることを見るにつけ、この芝生広場を開放していただけないのかと思っているのです。
16.10.20.裕・記編集

16.10.20.撮影
原爆死没者慰霊碑の前は混雑していましたがふり返った広場の通路はそうでもありませんでした

16.10.20.撮影

16.10.20.撮影
東側芝生広場のところどころに(芝生が枯れ)地面がみえてる処があるようです

16.10.20.撮影
(ボランティアガイドの説明を聞いている修学旅行生が写っていますが)右側(東側)の芝生が枯れ地面がみえている処も撮影

16.10.20.撮影
仮囲いの中では、発掘作業が行われていました

16.10.20.撮影
発掘作業用仮囲いの設置で、定点からは原爆死没者慰霊碑はみえません
2016年9月
9月15日(木)11時半過ぎ。くもり。
8月6日の平和記念式典用に通称・原爆資料館下の西側半分の発掘作業を一時中止し、仮囲いを撤去し、仮舗装をしていたいましたが、今月は、発掘作業が再開され、聞くところによると年度末まで再び設置された仮囲いがある画像になるのでしょう。
課外学習の多くの小学生が訪れ、原爆死没者慰霊碑前では記念写真を撮っていました。
訪れたこの日この時間は、中国語よりもスペイン語が飛び交っているように(わたしは)感じました。
  16.09.15.裕・記編集

16.09.15.撮影
原爆死没者慰霊碑の前で記念写真を撮っていました

16.09.15.撮影

16.09.15.撮影

16.09.15.撮影

16.09.15.撮影
再び発掘作業用仮囲いが設置され、定点からは原爆死没者慰霊碑は見えなくなりました
2016年8月
8月18日(木)11時前。(雲はありましたが)はれ。
8月6日の平和記念式典会場になった平和記念公園広場でしたがいまは片づけられもとの広場の姿になっていました。
平和記念式典時の喧騒は去っていましたが、夏休みだからか多くの観光客が訪れていました。
通称原爆資料館南側の駐車スペースに観光バスの駐車がなかったことから集団での観光客ではないようでした。
16.08.19.裕・記編集

16.08.18.撮影
(8月6日平和記念式典時の喧騒は去っていましたが)観光客は多かった広平和記念公園でした

16.08.18.撮影

16.08.18.撮影

16.08.18.撮影

16.08.18.撮影
(手前)嵐の中の母子像 と (噴水)平和の泉 と 通称・原爆資料館
2016年7月
7月16日(土)13時過ぎ。曇っていました。
修学旅行の学生・生徒の集団は見かけなかっった平和記念公園でした。しかし三連休のはじまりだったからか多くの観光客が訪れていました。報道では、オバマ大統領が訪れて以来、平和記念資料館の見学者が大幅に増えたと聞いていました。
今月は通称原爆資料館下の西側の発掘作業が終わったのか仮囲いが撤去されていました。それとも、来月(8月6日)に近づいた平和記念式典用に仮に撤去したかわわかりませんが、今月は久しぶりにすっきりした通称原爆資料館周りでした。
16.07.17.裕・記編集

16.07.16.撮影
修学旅行の季節は終わっていても観光客は多かった広平和記念公園でした

16.07.16.撮影

16.07.16.撮影

16.07.16.撮影

16.07.16.撮影
通称・原爆資料館西側半分で先月まで行われていた発掘作業が終わった?それとも原爆忌の式典用

16.07.16.撮影
平和大通り側の平和記念公園バス停から(便は多いです・広島駅バス待ち時間に)撮影
2016年6月
6月16日(木)12時前と13時過ぎ。(あいにくの)雨。
広島赤十字病院の定期検診の後、オバマ大統領の折り鶴が展示されていると聞いていましたので立ち寄りました。(別頁で編集しました)
修学旅行などの事前に決まった日程では雨でも見学変更とはできないので、あいにくの雨の中での見学観光を気の毒に思いながら見ていました。
今月も通称原爆資料館下の西側の発掘作業は続けられているのでしょう仮囲いがありました。
今月は(通称)原爆資料館も見学しましたので、館内から広場を撮影しました。
  関連頁:(原爆資料館展示)オバマ大統領のメッセージと折り鶴
  16.06.18.裕・記編集

16.06.16.撮影
原爆資料館下ピロティーには修学旅行生が集まっていました

16.06.16.撮影
西側には(今月も)発掘作業用の仮囲いが設置されていました

16.06.16.撮影

16.06.16.撮影
久しぶりに(通称)原爆資料館管内より撮影してみました

16.06.16.撮影

16.06.16.撮影
記念写真を撮っていた幼稚園児、先生から『ピースサインはしないように』と何度も指示が出ていました
2016年5月
5月24日(火)10時半過ぎでした。曇り空でした。
市内電車に、広島駅から原爆ドーム前電停まで乗りましたその時、大阪から来たという小学生たちと一緒でした。修学旅行の季節でしょうか、多くの児童生徒の数が外国からの観光客を圧倒していました。
最初にみたとき、(通称)原爆資料館下で行われていた発掘作業の仮囲いの東半分が解体され、西半分は鋼板の仮囲いになっていました。帰宅後ラジオを聞いていると、オバマ訪問に備えての作業だと云っていました。
米国大統領の訪問に備えての事前の警戒で、警察官がそこここに目だった平和記念公園でした。
16.05.24.裕・記編集

16.05.24.撮影
(5月27日の米国大統領訪問の準備として)東半分の仮囲いを撤去していました

16.05.24.撮影
発掘作業区域西半分仮囲いが鋼板になっており、作業車両が留まり、床面はアスファルト舗装されていました

16.05.24.撮影
 通称原爆資料館屋外階段踊場から広場、原爆死没者慰霊碑、原爆ドームをみました
(東半分の発掘作業区域がアスファルト舗装されていました)

16.05.24.撮影

16.05.24.撮影
 原爆死没者慰霊碑前で(順番に)記念写真を撮っていました

16.05.24.撮影
2016年4月
4月27日(水)11時過ぎでした。雨になっていました。(家を出るときはくもりで雨になるとの予報でしたが傘をさすまでではありませんでしたが)
黄金週間前で修学旅行の季節なのでしょうか?学生の姿が目につきました。晴れた日にじっくりと見学していただきたいと思いながら、雨での見学を横目でみたりしました。
最近は中国語が飛び交うことが多いように思っている平和記念公園でしたが、この日は英語ではない、スペイン語ポルトガル語?に多く接したように思った日でした。
  16.04.27.裕・記編集

16.04.27.撮影
通称・原爆資料館北南側から発掘作業用仮囲いの上に原爆ドームのドーム部分が覗いています

16.04.27.撮影
原爆死没者慰霊碑南側から広場をみました。 (手前が)通称・原爆資料館下の発掘作業

16.04.27.撮影

16.04.27.撮影

16.04.27.撮影

16.04.27.撮影
(手前)平和の灯、原爆死没者慰霊碑、広場、(向側)通称・原爆資料館
通称・原爆資料館下では発掘作業 
4月10日、11日の「2016年伊勢志摩サミット関係閣僚会合・G7広島外相会合」で外相たちに見学を望んだのでしょうが新聞報道をみる限り見学することもなかったようです。
あいにくの雨に生りましたが、発掘作業は続いていました。

16.04.27.撮影
通称・原爆資料館北側での発掘作業

16.04.27.撮影
通称・原爆資料館南東側での発掘作業

16.04.27.撮影

16.04.27.撮影
2016年3月
3月22日(火)昼前でした。はれ。
この日は、春めいた日和でした。春の観光シーズンにはチト早いからか連休明けの日だったからか、観光客自体は少ないように思いました。
発掘作業は、(先月はそろそろ発掘作業も終わりに近づいているようにも思いましたが)まだまだのようで、作業人数も多くなったように感じました。
  16.03.23.裕・記編集

16.03.22.撮影
原爆死没者慰霊碑東北側・平和の池の根際から広場をみました

16.03.22.撮影
原爆死没者慰霊碑南側から広場をみました。 通称・原爆資料館下には発掘作業用仮囲いがみえます

16.03.22.撮影

16.03.22.撮影

16.03.22.撮影

16.03.22.撮影
通称・原爆資料館下では発掘作業 
4月10日、11日の「2016年伊勢志摩サミット関係閣僚会合・G7広島外相会合」に向けて作業員の人数が多くなったように(わたしは)感じました。
核保有国の外相も出席するこの会議、広島出身岸田外相、被爆二世松井広島市長、今を生きる広島市民の願いである核兵器廃絶を核兵器保有国が行動へ移すように(出身政党の縛りを捨て)全身全霊をもってこの会合に当たっていただきたいとわたしは願っています。

16.03.22.撮影

16.03.22.撮影

16.03.22.撮影

16.03.22.撮影

16.03.22.撮影

16.03.22.撮影
 
2016年2月 
2月28日(日)昼頃でした。くもり。
冬で観光客自体は少ないように思いましたが、(アジア系の)外国語が飛び交うこともなく静かな平和記念公園広場でした。
発掘作業は、日曜日で休みでした。そろそろ発掘作業も終わりに近づいているようにも思いましたが。
  16.02.29.裕・記編集

16.02.28.撮影
原爆死没者慰霊碑東側から広場をみました

16.02.28.撮影
原爆死没者慰霊碑南側から広場をみました。 通称・原爆資料館下には発掘作業用仮囲いがみえます

16.02.28.撮影

16.02.28.撮影
広場、原爆死没者慰霊碑をみました

16.02.28.撮影

16.02.28.撮影

16.02.28.撮影
通称・原爆資料館屋外階段踊り場から発掘現場を見ました(日曜でしたので作業なしでした)

16.02.28.撮影
 
2016年1月
1月23日(土)15時を過ぎていました。くもり。雪ではなく小雨がぱらつくときがありました。
冬で観光客自体は少ないように思いましたが、アジアからの観光客の方たちの声が飛び交っていました。
撮影の次の日(1月24日)は、第21回全国都道府県対抗男子駅伝で、その開催式が16時から催されるとかで、各県の選手団が国際会議場に向かっていました。
発掘作業は、土曜日で休みでしたが、被爆瓦が集められている処が見えましたので撮影しました。
16.01.24.編集

16.01.23.撮影
原爆死没者慰霊碑南側から広場をみました。 通称・原爆資料館下には発掘作業用仮囲いがみえます

16.01.23.撮影

16.01.23.撮影
通称・原爆資料館屋外階段踊り場から発掘現場を見ました広場、原爆死没者慰霊碑、原爆ドームをみました

16.01.23.撮影

16.01.23.撮影
通称・原爆資料館屋外階段踊り場から発掘現場を見ました

16.01.23.撮影
集められていた被爆瓦片などをアップして撮影しました

16.01.23.撮影
通称・原爆資料館南側を国際会議場に向かっている都市対抗駅伝(滋賀県)選手団



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