平和記念公園・広場の四季(2024年)

  広島市中区中島町の平和記念公園広場の四季を撮影していこうとする頁です。
ここでは「平和記念公園広場の四季2024年」版を取り上げます。
今(2024)年も四季折々平和記念公園の広場を見て季節の移ろいを感じていきたいと思っています(が)。
昨(2023)年5月8日「新型コロナウイルス感染症対策の基本的対処方針」を廃止し、5類感染症になりましたので、ここ平和記念公園を訪れる方々がコロナ前に近づいているようです。
平和記念資料館入館待ちの長い列が気になって2023年11月、
『後期高齢者のわたしですが、明らかにわたしよりもお歳のご夫婦がこれほど並んでいては見学をできないな~と話しておられた声が聞こえてきました(ので)老人優先見学者枠のようなことを考えてもいいのかなと思ったりしましたが。』と記事で取り上げました。
新聞やTVニュース報道を見聞きしていると
『広島市は2023年12月8日、平和記念資料館入館待ちの時間が長くなっているとして、チケットをオンラインで事前購入できるシステムの導入や、開館時間延長といった解消策の試行を検討していると明らかにした。議会一般質問で答弁した。
5月のG7広島サミットによる関心の高まりなどを受け、8月は最大2時間待ちとなった。
広島市は早ければ来(2024)年2月中旬から、15言語対応のシステムで3月以降を対象にしたチケットのオンライン販売を開始する。
3月から開館を1時間早め、閉館を1時間延長したいとしている。試行期間は約1年間を想定している。』というような報道でした。
2024年ノーベル平和賞を日本被団協(日本原水爆被害者団体協議会)が受賞しました。
受賞理由:核兵器のない世界を実現するための努力と核兵器が二度と使用されてはならないことを証言によって示してきたことで。
12月24日(火)13時半頃でした。晴れていましたが雲が出るときもありました。
多くの日本人は正月を迎えようと師も走る12月だからでしょうか?ここ平和記念公園では(日本人の)観光客は少ないようでした。
バスセンターから平和記念公園に(歩いて)行っている時わたしを追い抜いて行った独逸語をしゃべりながら2人の青年、原爆ドーム横ではスペイン語?をしゃべっている家族連れ、女性達はヒジャブを着用したインドネシア人?集団など外国人観光客の方が多いように感じた平和記念公園でしたが、人出はやはり冬場の平和記念公園でした。
コロナ禍の閑散とした平和記念公園からするとそれ以前を越える観光客が多いことしの平和記念公園だったな~と回想しながらことしのこの頁の編集最後とします。
今年も一年この“平和記念公園広場の四季”をNETでお付き合いしていただきありがとうございました。
 24.12.25.更新   24.01.25.編集

24.09.22.撮影

24.10.24.撮影

24.11.21.撮影

24.12.12.撮影
2024年9月の広場 2024年10月の広場 2024年11月の広場 2024年12月12日の広場
2024年12月24日の広場

24.05.22.撮影

24.06.27.撮影

24.0713.撮影

24.08.01.撮影
2024年5月の広場 2024年6月の広場 2024年7月の広場 2024年8月01日の広場
2024年8月25日の広場

24.01.25.撮影

24.02.17.撮影

24.03.14.撮影

24.04.25.撮影
2024年1月の広場 2024年2月の広場 2024年3月の広場 2024年4月の広場
2024年12月24日

24.12.24.撮影
平和記念公園芝生広場をいつものように≒北西側からみました

24.12.24.撮影
原爆死没者慰霊碑前広場から通称・原爆資料館の方をみました

24.12.24.撮影
通称・原爆資料館下ピロティーから原爆死没者慰霊碑の方をみました

24.12.24.撮影
)観光バスは留まっていませんでした

24.12.24.撮影
平和記念資料館へ入館はスムーズで列は出来ていませんでした
2024年12月12日
12月12日(木)10時45分ころでした。晴れていました。
英語で案内しているガイドさんが率いる団体旅行客2組の横を通りましたが、修学旅行が終わり、
例年の冬場同様観光客も少なくなった平和記念公園に戻っているように思いました。
コロナが終わり、G7広島サミット開催の効果か?円安効果か?多くの外国人観光客を迎えていた平和記念公園でしたが、冬になり祈りの場としての平和記念公園が少しばかり戻っているようでした。
  24.12.13.編集

24.12.12.撮影
平和記念公園芝生広場をいつものように≒北西側からみました

24.12.12.撮影
原爆死没者慰霊碑前広場から通称・原爆資料館の方をみました

24.12.12.撮影
通称・原爆資料館下ピロティーで、ガイドの方が長々と説明しているようでした

24.12.12.撮影
(多くの修学旅行生を運んでくる)観光バスは留まっていませんでした

24.12.12.撮影
平和記念資料館へ入館はスムーズで列は出来ていませんでした
2024年11月21日
11月21日(木)12時ころでした。くもっていました。
修学旅行も終わりかなと思っていましたが、さにあらず先月を上回る修学旅行生の数でした。
外国人観光客も多く、個人旅行主体と思っていた英語圏の観光客でしたが、30名を越すような団体旅行客をみたし、久しぶりに聞く中国語をしゃべっている夫婦がわたしの横を通っていきました。
原爆死没者慰霊碑を背にした修学旅行の記念撮影は自粛したらとわたしは思うのです。
・原爆死没者慰霊碑前の広場は祈りの場所であり、記念写真を撮影する場所ではない。
・(祈りの場所であることを知っているからでしょう)外国人観光客が、ここで記念撮影をしている処をみません。
・そして、神をも恐れぬ参道中央で記念撮影をする不届きな学校もあるので、記念写真そのものは別場所で撮影したらとわたしは願っています。
 24.11.22.編集

24.10.24.撮影
平和記念公園芝生広場をいつものように≒北西側からみました

24.10.24.撮影
原爆死没者慰霊碑前広場から通称・原爆資料館の方をみました
原爆死没者への祈りの場所(のこの場所)での記念写真撮影は自粛したらと(わたしは)思います。

24.10.24.撮影
通称・原爆資料館下ピロティーから原爆死没者慰霊碑、遠く原爆ドームをみました

24.10.24.撮影
多くの修学旅行生を運んできた観光バスが留まっていました

24.10.24.撮影
平和記念資料館へ入館待ちの列は出来ていませんでした
2024年10月24日
10月24日(木)11時半ころでした。くもっていました。
ノーベル平和賞を被団協が受賞したことで、外国人観光客が増えているのかなと思いましたが、修学旅行の季節で児童生徒が、外国人観光客を圧倒しているように感じました。
原爆ドームをバックにして修学旅行の記念撮影が始まっていました。
参道中央から外れての撮影でしたので一応の礼儀を知っている学校の撮影でした。
(∵神をも恐れぬ参道中央で記念撮影をする不届きな学校もあるので、少しばかり安心しました。)
 24.10.25.編集

24.10.24.撮影
平和記念公園芝生広場をいつものように≒北西側からみました

24.10.24.撮影
児童たちの修学旅行記念に撮影が始まろうとしていました   原爆死没者慰霊碑前広場から通称・原爆資料館の方をみました

24.10.24.撮影
通称・原爆資料館下ピロティーから原爆死没者慰霊碑、遠く原爆ドームをみました

24.10.24.撮影
修学旅行の季節のようで観光バスが留まっていました

24.10.24.撮影
平和記念資料館へ入館待ちの列は出来ていませんでした
2024年9月22日
9月22日(日)13時を過ぎていました。くもっていました(時に小雨がありましたが傘をさすまでではありませんでした)。
暑いことしの夏がまだ収まっていない日でしたが、くもっていたのが幸いでした。
日曜日で三連休の真ん中だったこともあったのでしょう。人出が多い平和記念公園でした。
(昨年の一時期あった)平和記念資料館入館への長い列はないようでしたが、混雑しているだろうと想いました。
この日は、息子(の車で)と墓参りをした後、ここ平和記念公園を訪ねました。
公園近くの(有料)駐車場に止めようと、大手町1(爆心地:島内科)の近くの駐車場からはじめましたが、何処も満車で(少しばかり遠くになり)中町5丁目のコインパークに止めることになりました。
平日中心で歩き中心のわたしですので、(駐車場の場所は知っているつもりでしたが)日曜日は駐車場の満車状況には疎いものでした。
    24.09.24.編集

24.09.22.撮影
平和記念公園芝生広場をいつものように≒北西側からみました

24.09.22.撮影
原爆死没者慰霊碑前広場から通称・原爆資料館の方をみました

24.09.22.撮影
平和記念資料館入口がある東館の方へ多くの人たちをみたので撮影しました

24.09.22.撮影
通称・原爆資料館下ピロティー部分から原爆死没者慰霊碑、遠く原爆ドームをみました

24.09.22.撮影
観光バスは撮影範囲には留まっていませんでした
2024年8月25日
8月25日(日)10時45分頃、晴れたり曇ったりしていましたが、熱中症特別警戒アラートが出ていました。
8月1日訪ねたときは(通称)平和記念式典用の日よけのテントが設置されてきていましたが、
8月25日は通称・平和記念式典も終わり、ここの処の夏の暑さから観光客は少な目かなと考えていましたが、さにあらず外国人家族観光客もそこここで目につき、それなりに多くの観光客が訪れていました。夏休みも終わりに近づいているとはいえ、夏休みを利用しての観光のようにも思いましたが。
この日は被爆アオギリを見ることを主目的にしていましたが、平和記念公園広場の四季のこの頁用にも撮影しました。
 24.08.22.編集

24.08.25.撮影
平和記念公園芝生広場をいつものように≒北西側からみました

24.08.25.撮影
(この日は新しくなった国旗掲揚ボールを撮影するので)≒北東側からもみました

24.08.25.撮影
原爆死没者慰霊碑前広場から通称・原爆資料館の方をみました

24.08.25.撮影
通称・原爆資料館下ピロティーから原爆死没者慰霊碑、その向側の原爆ドームをみました

24.08.25.撮影
観光バスは撮影範囲には留まっていませんでした

24.08.25.撮影
平和記念資料館入館待ちの列はありませんでした
2024年8月1日
8月1日(木)10時30分過ぎ、晴れた日で、既に暑くなっていました。
ニュースで既に8月6日(通称)平和記念式典用の日よけのテントが設置されてきていると聞いていたのです。
午後からの日赤での定期健診前に立ち寄って撮影してみようと思ったのです。
暑い日でしたが、思ったよりも外国人観光客もそうでしたが日本人の観光客も多く訪れていました。
資料館へ入場街の列はありませんでしたが、平和記念資料館東館の日陰になっている処にはへたれた若者が列になって座っていました。
  24.08.01.編集

24.08.01.撮影
原爆死没者慰霊碑前広場はテントで覆われていました

24.08.01.撮影
参列者のいすなどはいまからでしたが、会場全体にテントが設置されていました

24.08.01.撮影
(通称)中央参道にもテントが設置されるようになったようです

24.08.01.撮影
2024(令和6)年8月6日 「広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式」

24.08.01.撮影
平和記念資料館入場待ちの列は無かったが、日陰にへら離婚だ若者の列がありました
 8月1日ピースマッチ前に原爆死没者慰霊碑に献花
サンフレッチェ広島vsドイツ1部・シュツットガルト

24.08.01.撮影
親善試合というものの2-5で完敗だったようです
2024年7月
7月13日(土)13時前で、くもりでしたが夏の日差しが雲の間から差し込んでいました。
今月は、先月と同じような一時期の観光客でごったがえすような平和記念公園では無く、夏休み前で修学旅行生がいなかったのでむしろ、以前の夏場の平和記念公園のように(わたしは)感じました。
きょう13日(土曜日)から15日の海の日までの三連休の始まりだったからか、家族連れ(夫婦と子どもたち)が目につく平和記念公園でした。
  24.07.13.編集

24.07.13.撮影
原爆死没者慰霊碑前広場はそれなりの人出でした

24.07.13.撮影
原爆死没者慰霊碑前広場から(通称)原爆資料館をみました

24.07.13.撮影
(通称)原爆資料館ピロティーから原爆死没者慰霊碑その先の原爆ドームをみました

24.07.13.撮影
(通称)原爆資料館南側広場に観光バスは留まっていませんでした

24.07.13.撮影
平和記念資料館入場待ちの列ができているのかと思いましたが、すぐ入館していきました
2024年6月
6月27日(木)10時45分頃で、(撮影時は降ってはいませんでしたが小雨模様の)くもりでした。
今月は、)外国人観光客も含めて先月までの人出はないなとと思いました。やはり梅雨入りりしているからかな?と思いました。(後であった兄もきょうは意外と人出が少ないなと云っていました)。
先月までと違って、通称原爆資料館南側広場に観光バスは留まっていませんでした。(資料館東館南の駐車場には観光バスは留まっていましたが)。また、平和記念資料館への入場待ちの列はなく、館内でも入場待ちの列もありませんでした。
  24.06.27.編集

24.06.27.撮影
梅雨時期はやはり観光シーズンではないですよね

24.06.27.撮影
原爆死没者慰霊碑前広場から(通称)原爆資料館をみました

24.06.27.撮影
(通称)原爆資料館ピロティーから原爆死没者慰霊碑その先の原爆ドームをみました

24.06.27.撮影
(通称)原爆資料館南側広場に観光バスは留まっていませんでした
(噴水)“祈りの泉”前から撮影したのですが、クチナシの香りが充満していました

24.06.27.撮影
“祈りの泉”周りの植え込みはクチナシだったのだと香り立つその香りでわかる迂闊さでした

24.06.27.撮影
平和記念資料館入場待ちの列はありませんでした
2024年5月
5月22日(水)10時45分頃で、くもっていました。
今月も多くの外国人観光客が訪れていました。以前は英語中心に仏語独語中国語だなとそれとなくわかる言語の観光客でしたが、ここのところ今月もわたしにはなじみがないスペイン語?ポルトガル語?タイ語?など多くの言語が飛び交っていました。
観光客の便宜を図る為とかで広島県が宿泊税とやらを一泊@200円/人を課そうとしているようですが。
修学旅行の季節になったか?多くの観光バスが留まっていました(修学旅行生は免税とする案もあるようですが免除しなくてはならないとわたしは思いますが)。
多くの人たちに原爆について平和について考える機会になるであろう平和記念公園の人出の多さは受け入れなくてはならないのでしょうが、多くの人出の中に身を置くことが苦手なわたしですので昔を懐かしむ思いを捨てきることは出来ないところもあるのです。
  24.05.22.編集

24.05.22.撮影
今月は平和の池周りの植栽の整備が行われており、いつもの東側通路が通行禁止になり、
西側通路で公園広場に行きました

24.05.22.撮影
≒西北から多くの観光客が訪れていた平和記念公園をみました

24.05.22.撮影
撮影しているわたしの後ろは観光客でごった返していましたが、
撮影時、広場中央通路はたまたま閑散としていました

24.05.22.撮影
通称・原爆資料館ピロティーから原爆死没者慰霊碑の方をみました

24.05.22.撮影
通称・原爆資料館南側広場には多くの観光バスが止まっていました
みたのが、(石川県)小松市立南部中学校、香川県立高松北中学校の生徒たちをのせた観光バスでした

24.05.22.撮影
修学旅行生は平和記念資料館・東館南側出入口から館内に入っていました。
館内では外国人観光客中心に展示場入場のため並んでいました
2024年4月
4月25日(木)10時45分頃で、晴れていました。
多くの外国人観光客が(原爆ドームがある)大手町地区でした。英語、独語の観光客にであい、久しぶりに聞く中国語(団体旅行ではない)を通り抜け、定点撮影をする中島町地区の方に来ると修学旅行の生徒・学生も多くいましたが、外国人団体観光客も目立ちました。
5月3・4・5日のフラワーフェスティバルの段取りが始まっていました。 平和記念資料館南側にステージが、平和の泉の噴水を止めて花の塔の制作も始まっていました。、
 24.04.25.編集
d
24.04.25.撮影
≒北東側より平和記念公園広場をみました

24.04.25.撮影
鳩を蹴散らした?君らが止まる処ではないよカラス君(目が一段と悪くなった?鳩かな)

24.04.25.撮影
原爆死没者慰霊碑前広場から平和記念公園広場、通称・原爆資料館をみました

24.04.25.撮影
通称・原爆資料館ピロティーから原爆死没者慰霊碑の方をみました

24.04.25.撮影
通称・原爆資料館南側広場には多くの観光バスが止まっていました  (南砺市立福野中学の生徒を乗せたバスも)

24.04.25.撮影
喧騒の平和記念公園でしたが平和記念資料館見学者はすぐに見学ができるようでした
フラワーフェスティバルの段取り

24.04.25.撮影
「花の塔」上の方から造られていました

24.04.25.撮影
資料館南側には「カーネーションステージ」が大半できていました
2024年3月
3月14日(木)11時半前で、晴れていました。
春めいてきたこの日は、多くの外国人(中韓以外)の観光客が訪れていました。日本人の観光客は大人中心のように思いました。(学生・生徒たちは修学旅行の季節ではなく卒業の季節だからかでしょう。)
今月も平和記念資料館入館の長い冽はなくすぐ見学できるようでした。
NHKが原爆死没者慰霊碑前で、小野文恵(1968-  )アナウンサーが岩波新書を読んでいる姿を撮影していました。(今月の下段に掲載しました)
  24.03.14.編集

24.03.14.撮影
≒北東側より平和記念公園広場をみました

24.03.14.撮影
原爆死没者慰霊碑前広場から平和記念公園広場、通称・原爆資料館をみました   NHK小野文恵アナウンサー

24.03.14.撮影
通称・原爆資料館ピロティーから原爆死没者慰霊碑の方をみました

24.03.14.撮影
通称・原爆資料館南側広場には観光バスは止まっていませんでした

24.03.14.撮影
平和記念資料館見学者はすぐに見学ができるようでした
NHK中国地区の番組コネクトの撮影か?
小野文恵(1968-  )アナウンサーが手にしているのは、表紙の色から岩波新書で間違いないと思いました(が、題はわかりませんでした)。少し近づいたときに『ぼくは・・・』と頁を広げ読んでいる声が聞こえました。
わたしの推測ですが、
ノーベル賞作家・大江健三郎(1937-2023)さんが亡くなったのが昨年3月3日であったので、一周忌の記念番組として大江健三郎著「ヒロシマ・ノート」をコレクトで取り上げたのではないか?と思ったのですが、まったくの見当違いかもしれませんが。
この日(3月14日)は兄と一緒に原爆死没者慰霊碑で首を垂れ黙祷したのち通称・原爆資料館の方に歩いていこうとしていた時、兄にNHKが撮影しているあれは小野アナウンサーだなと云うので振り返って撮影し少し近づいてもう一枚撮影したのです。
いつものようにわたし一人だったら気付かずに通り過ぎていたでしょうが。

24.03.14.撮影
原爆死没者慰霊碑前の一段下の広場でNHKの撮影クルーを見ました

24.03.14.撮影
小野文恵アナウンサーが岩波新書を持っていました
2024年2月
2月17日(土)13時半過ぎで、晴れていました。
暖冬を表すような日和だったからか、土曜日だったからか1月に比べれば人出は多い平和記念公園でした。
修学旅行生を乗せてくる観光バスは止まっていませんでしたが、学生の姿が目立ち、外国人観光客は少ないように(わたしは)感じました。
長時間入館を待つことを解消しようと“WEBを活用したチケット購入・予約システムの導入”が3月入館から始まるようですが、今月(2月)も待ち時間はないようでした。
 24.02.17.編集

24.02.17.撮影
≒北西側より平和記念公園広場をみました

24.02.17.撮影
原爆死没者慰霊碑前広場から平和記念公園広場、通称・原爆資料館をみました

24.02.17.撮影
通称・原爆資料館ピロティーから原爆死没者慰霊碑の方をみました

24.02.17.撮影
通称・原爆資料館南側広場には観光バスは止まっていませんでした

24.02.17.撮影
平和記念資料館見学者はすぐに見学ができるようでした

24.02.17.撮影
≒西南方向から平和記念公園芝生広場をみました
2024年1月
1月25日(木)11時半ころ、くもっていました。
(わが家を出るときには、まだ雪が舞っていましたが)ここ平和記念公園でも雪がちらついてもいいような天候でしたがくもっていました。
コロナ禍前の冬場の平和記念公園が戻っているようでした。
わたしが訪ねている時には、外国人観光客は少なく、わたしに挨拶の言葉をかけてくれた学生たちは(福岡県)久留米から来たと云っていたので修学旅行だったのかもしれません。
観光客が少ない季節だからでしょう、高所作業車を使って通称・原爆資料館の塗装工事が行われ、芝生広場では芝生の手入れがなされていました。
 24.01.25.編集

24.01.25.撮影
≒北東側より平和記念公園広場をみました  (原爆死没者慰霊碑上には鳩たちが暖をとっているようでした)

24.01.25.撮影
原爆死没者慰霊碑前広場から平和記念公園広場、通称・原爆資料館をみました

24.01.25.撮影
(芝生広場の)芝生の手入れ作業が行われていました

24.01.25.撮影
(早めの昼休憩中でしたが)高所作業車で鉄部の塗装替えが行われているようでした

24.01.25.撮影
平和記念公園広場を通称・原爆資料館ピロティーからみました

24.01.25.撮影
(南側からみました)

24.01.25.撮影
南東(平和記念資料館入口近く)から平和記念公園広場をみました
(入館の待ち時間はなく入館見学ができているようでした)



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