Kanae Otani発案いつかここではないどこかで

  中区袋町の旧日本銀行広島支店開催された“どこ×デザ”で展示されたKanae Otani発案「いつかここではないどこかで」です。
※2021年2月20日〜3月7日まで展示8作品のうちのひとつの発案(で出来た1作品)です。
*説明文を読むまでKanae Otaniさんが発案、制作、展示されている被爆樹木の種を採取されたものだと思ったのですが、種の採取は広島大学総合博物館・池田礼さんが行ったものだとわかりましたので、表題を“Kanae Otani発案”としました。
木は、さまざまな記憶を記録しながら生き続けています。
樹皮の色、根の張り方、枝の伸び方。植物がそれでも生き続けるのは、その環境を生きやすいように生きる、彼らの適応力と、まわりの生き物や環境との共存力あってのものです。
これは爆心地から2km以内で被爆し、息を吹き返した161体の樹木のこれからのものがたりです。遺産として登録され、番号をつけて生き続ける彼ら彼女らは、たくさんの方々の研究やサポートがあって現在も立派に生き、世界や日本各地へ種子を交換する素晴らしい期間があります。
でもこの老木たちの次を担う若木たちが、何処でどんな風に育っているか、ご存知ですか?
記念碑として遺産的に保存するのではなく、これからへつながる、生きている遺産の森へ。
161体の分身たちが、生きやすいように生きやすいところで育っていく。
あなたの家でも、この旧日本銀行広島支店の中庭でも。
この苗は、あの木の種から来たんだよ、と伝えることこそが、本当の意味での登録樹木の継承ではないのだろうか。
わたしたちはそのいつか森になる過程の一瞬を担っています。
私はここにその最初の第一歩となる培養の仕掛けをつくります。
種子を観察したり、胞子や殻から種を集めたり、被爆建物の中庭に入り込む光や風にゆれる苗を観察し、木について、これからの森について、想像できる場所になってほしいと思っています。
傷を負いながら、根や樹形が傾きながら、そしてこの温暖化の中で生き延びる樹々たちのアイデンティティを敬い、尊重したい。彼ら彼女らのひとつひとつの種子を、リジェネレーションする時です。
いつかここではないどこかで、森になるとしても。
オオタニカナエ (Otani Kanae:38才)
新聞報道を参照すると
『オオタニさんは現在フランスで活動するが、3歳まで暮らした広島には親戚も多い。思い入れのある地での展示に「信じられない」と表情はほころぶ。
会場の一室と中庭にケースに入った被爆樹木の種や苗木を展示する。アオギリ、キョウチクトウ、クスノキ、ユーカリ……。16種類の植物はそれぞれ被爆の記憶を宿している。「痛々しい老木を守ることは大切ですが、未来に向かって世代交代していくことも重要です。再生のあり方を問いかけたい」と語る。』
*キョウチクトウは広島市の木ですが、被爆樹木リストにはありません。
*地球温暖化にも触れておられますが、広島市で被爆した樹木たちには気候的に過酷な地もあり、何処にでも森とはならないことは云うまでもないことでしょうが。
3月に入ってTVローカルニュースをみていたらこのアート&デザイン展を紹介していたのです。
“被爆樹木の種”に特化して注目したことがなかったからで、
コロナ禍の中老人のわたしには家で静かにしていろよ!と云われるでしょうが、それでも“みなくては”と思ったのです。
この作品を見学した時、視覚障碍を持っているわたしには、上記作者の言葉が書かれたB4の用紙に印字された小さな字を読むのは苦痛ですので、撮影して帰宅後拡大して読んだのです。
(次回からは老人、障碍者にも優しい大きな字で貼り出していただきたいものです。)
そこには、爆樹木の種を自身の手で採取されたものだと(わたしは)思っていたのですが、種の採取は広島大学総合博物館・池田礼さんが行った事が記述されていました。
∴Kanae Otani作品とは云いがたいと(わたしは)思ったのでKanae Otani発案としました。
被爆樹木の子どもたちを全国に広げようと云う考えは以前からあり、
広島市はアオギリ二世を市立全校に配布し、修学旅行などでやって来る全国の学校の要望に応えてアオギリ二世の苗を配布しています。
また、縮景園では被爆イチョウから育てたイチョウ二世の苗を希望者に配布しようとしていましたが、いまいち盛り上がらなかったようなのです。
(∵大きくなり落葉の掃除や銀杏がつぶれたときの匂いなど負の部分もあるからと聞いたことがあります。)
オオタニカナエさんが、各被爆樹木の種を時間をかけてコツコツと採取して、発案したことを実行に移している次の時代を築く若者の素晴らしい作品なのだと思っていたわたしでしたので、他人任せの被爆樹木の種の採取と分かり、この作品の評価は半減だなと思いながらこの頁を編集しました。
 21.03.19.裕・記編集

21.03.04.撮影
広島市中区袋町5-21 旧日本銀行広島支店
-展示中の将来の森たち-
今展示では広島大学総合博物館・池田礼さんに多大な尽力・協力をいただきました。
展示の被爆樹木の全部の種は池田さんが、2021年1月中旬から採取されたものです。
樹木写真、訪問時のコメントは池田さん自身のものです。
×はわたしが種を写していない樹木です。

21.03.04.撮影
クロガネモチ 白神社前平和大通  爆心地から530m
(裕編集)クロガネモチ 
×クロガネモチ 広島城跡  爆心地から910m
(裕編集)クロガネモチ 
×カキ      白神社前平和大通り  爆心地から530m 
(裕編集)カキ 
×センダン   白神社前平和大通り  爆心地から530m
(裕編集)センダン 
ユーカリ   広島城二の丸跡  爆心地から740m
(裕編集)ユーカリ 
イチョウ   報専坊  爆心地から1,120m
(裕編集)イチョウ 
イチョウ   明星院  爆心地から1,780m
(裕編集)イチョウ 
クスノキ   比治山公園  爆心地から1,950m
(裕編集)クスノキ 
クスノキ   千田公園  爆心地から2,030m
(裕編集)クスノキ 
クスノキ   二葉の里第二公園  爆心地から2,040m
(裕編集)クスノキ 
ヤブツバキ  吉島稲生神社  爆心地から2,160m
(裕編集の)ヤブツバキ 

21.03.04.撮影
ボタン   本逕寺  爆心地から890m
(裕編集の)ボタン 
ソテツ  本願寺広島別院  爆心地から1,150m
(裕編集の)ソテツ 
アラカシ   禿翁寺  爆心地から1,580m
(裕編集の)アラカシ 
ナツミカン   光明院  爆心地から1,700m
(裕編集)ナツミカン 
ボダイジュ   宝勝院  爆心地から1,820m
(裕編集)ボダイジュ 
ツバキ   宝勝院  爆心地から1,820m
(裕編集)ツバキ 
苗木
今回展示では、広島市緑政課、浜田樹苗園、長崎市の協力を頂きました。
アオギリ二世:広島市緑政課より拝借。
キョウチクトウ2世:広島市緑政課より拝借。
(*夾竹桃は、広島市の木ですが被爆樹木ではありません)
クスノキ2世:長崎市より譲渡

21.03.04.撮影
ナツミカン:光明院        アラカシ:禿翁寺

21.03.04.撮影
ユーカリ:広島城跡  イチョウ:明星院   クロガネモチ:白神社前平和大通り

21.03.04.撮影
ボダイジュ:宝勝院    ツバキ:宝勝院

21.03.04.撮影
ソテツ:西本願寺広島別院

21.03.04.撮影
イチョウ:報専坊

21.03.04.撮影
ヤブツバキ:吉島稲生神社

21.03.04.撮影
ボタン:本逕寺

21.03.04.撮影
クスノキ:千田公園内外  クスノキ:二葉の里第二公園  クスノキ:比治山公園

21.03.04.撮影
クスノキの苗(長崎市から譲渡)   アオギリ2世の種(広島市緑政課、浜田樹苗園)

21.03.04.撮影
旧日本銀行広島支店中庭

21.03.04.撮影



「被爆した樹木一覧」編



広島ぶらり散歩へ
どこ×デザ
光岡幸一作「詩のある風景とこれから」
Kanae Otani発案「いつかここではないどこかで」
沖野純・辻大海作「PAPER BAND」
生田海斗+川畑純作「ニチギン・ピースシアター」
角文平作「Secret room」
菊田真奈作「Senbazuru」
諏訪葵作「仕切りを解かすための触媒」
寺岡波瑠作「広島式オーダー」


inserted by FC2 system